平塚・山川・山田三女史に答う
与謝野晶子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)端《はし》なくも
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)現代|伊太利《イタリヤ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)偶※[#二の字点、1−2−22]
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女史の経済的独立と母性保護問題とについて、平塚雷鳥さんと私との間に端《はし》なくも意見の相異を見たのに対して、平塚さんからは、再び辛辣《しんらつ》な反駁《はんばく》を寄せられ、山川菊栄《やまかわきくえ》さんと山田わか子さんのお二人からは、鄭重《ていちょう》な批評を書いてくださいました。私は何よりも先ず三氏の御厚意に対して十分の感謝を捧げねばなりません。三氏のような豊富な学殖を持たず、三氏のような博詞宏弁を能《よ》くし得ない鈍根な私の書いたものが、偶※[#二の字点、1−2−22]《たまたま》三氏のお目に触れたというだけでも、私に取ってはかなり嬉しいことであるのに、「唯だ看《み》て過ぎよ」とせずに、わざわざ私のために啓蒙の筆を執って下すったということは真に想いがけない光栄であると感じます。
平塚さんが日本における女流思想家の冠冕《かんべん》であることは、女史の言説や行動に服すると否とにかかわらず、社会が遍《あまね》くこれを認めております。山川、山田二女史に到っては、その出処が平塚さんほどに華々しくなかったために、その卓抜な実力がまだ一般世人の注意を惹《ひ》くだけの機会に達していないのを私は常に遺憾に思っているのです。教育の世界化に由って、女子の学士を出《い》だし、更に女子の博士をも出そうとしている日本に、聡慧篤実な新進女子の次第に殖えて行くべきことは予見されますが、それらの女子の先駆として大きな炬火《たいまつ》を執る一群の星の中に、特に鼎足《ていそく》の形を成しながら光芒の雄偉を競うものはこれらの三女史であると信じます。私は誇張でなく、真実を述べることの正しさにおいていいます。三女史の如きは女流小説家の翹楚《ぎょうそ》である某々女史たちや、婦人理学士の第一着者である某々女史たちと共に、確かに我国婦人界の宝の人であると思います。否、むしろ現在の日本の状態では、生きた新しい国宝と称すべき女史たちであるとさえ思
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