《コクリコ》の花が少しあくどく感じる程一面に地の上に咲いて居る。矢車の花は此國では野生の物であるから日本で見るよりも背が低く、菫かと思はれる程地を這つて咲いて居る。自分が下車すると、例の樣に、
「ジヤポネエズジヤポネエズ」
 と云つて、一汽車の客が皆左の窓際へ集つて眺めるのであつた。自分は秋草を染めたお納戸の絽の着物に、同じ模樣の薄青磁色の絽の帶を結んで居た。停車場の驛夫にロダン先生の家へ行く道を聞くと、彼處をずつと行けば好いと云つて岡の下の一筋道を教へて呉れた。馬車などは一臺もない停車場である。眞直に突當つてと云はれた道が何處迄も果ての無い樣に續いて居る樣なので、自分は男達に後れない樣にして歩きながら時時立留つて汗を拭いては吐息さへもつかれるのであつた。松岡氏と良人とは逢ふ人毎に目的の家を尋ねて居る。逢ふ人毎と云つても一町に一人、三町に二人位のものであることは云ふ迄もない。粉挽小屋の職人までが世界の偉人を知つて居て、
「ムシユウ・メモトル・ロダン」
 と問ひ返して、其返事を與へる事に幸福と誇りとを感じて居るらしいのを見ると、自分は涙ぐましいやうな氣分にもなるのであつた。

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