ある日本の女が何が巴里の女に及び難いかと云へば、内心が依頼主義であつて、自ら進んで生活し、其生活を富まし且つ樂まうとする心掛を缺いて居る所から、作り花の樣に生氣を失つて居る事と、もう一つは、美に對する趣味の低いために化粧の下手なのとに原因して居るのでは無いか。日本の男の姿は佛蘭西の男に比べて隨分粗末であるが、まだ其れは可いとして、日本の女の裝飾はもつと思ひ切つて品好く派手にする必要があると感じた。

 松岡氏と良人と自分がアン※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]リイドの停車場からロダン先生を訪ふ爲にムウドン行の汽車に乘つたのは、初めて詩人レニエ先生を訪うた日の午後であつた。此汽車は甲武線の電車の樣に、街の中を行きながら家竝よりは一段低く道を造つた所を走るのである。短距離にある市内の停車場《ステエシヨン》を七つばかり過ぎて郊外へ出ると、涼しい風が俄に窓から吹き込んで來るのであつた。暗がりから明るみへ出た樣な氣味で自分は右と左を見廻して居た。近い所も遠い所も家は低くてそして代赭色《たいしやいろ》の瓦で皆|葺《ふ》いてある。態とらしく思はれる程その小家の散在した間間に木の群立がある。雛罌粟
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