い程度の異性に對する淡《あは》い愛情も一切不貞不純の事實になります。さうして結婚前に何人の心的經驗にも此種の不貞不純を絶對に犯さないで居られるものでせうか。
 人が山中に孤棲でもして全く社會と隔離しない限り、かう云ふ意味に於ての貞操道徳を破らない者は一人も無い譯でありませんか。貞操が精神的のものであるなら其處まで徹底して考へねばならないと思ひますが、道徳が果してさう云ふ内心の機微までを制裁することが出來るでせうか。
 其處までは追窮しないでもよい、貞操は結婚した男女の間に守る道徳であると云ふなら、結婚するまでの不品行などは一切寛假されることになるでせう。肉體的には關係したが、精神的には相許したのではないと云へば少しも貞操道徳に背いた人でなくなるでせう。

 世間には夫婦として性交を續けながら精神的に冷淡な男女や、また性交も無く精神的にも憎み合ひながら夫婦として同居して居る男女が多數にあつて、其等は明かに精神的の貞操を破つて居る男女である筈ですが、不思議にも貞操道徳はそれを不貞の男女として咎めないのみならず、表面さへ夫婦生活を一生續けて行けば却て貞婦のやうに目されて居るのは何う云ふ譯でせ
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