でせうか。
私達の人間生活の持續と發展とに矛盾なくして役立つものなら新しい道徳として歡迎したいと思ひます。若し女には守らさねばならぬが、男には寛假されると云ふやうな矛盾のあるものなら、それは人間生活を破綻失調させる舊式道徳であつて、私達の信頼することの出來ないものだと思ひます。
また何人にも遍く強要することが出來ず、其人の境遇、體質等に由つて寛嚴の差があり、それを一律に何人にも強要しては却て大多數の人間が虚僞と、壓制と、不正と不幸とに泣かねばならぬと云ふやうなものなら、其れは私達の要求して居る新しい道徳として見ることが出來ません。
貞操は精神的のものですか、肉體的のものですか、愛情のものですか、性交のものですか、また精神的であると同時に肉體的のもの、謂ゆる靈肉一致的のものですか、かう云ふ區別もまだ鮮明になつて居ませんやうに思はれます。
若し精神的のものだと云ふなら、他の婦を見て情を動かしたものは既に姦淫を犯したものだと云ふ論法通り、或男が或女を見、或女が或男を見て愛情を動かしたことは悉く精神的に純貞を破つたものになります。片戀と言ふのも、失戀と言ふのも、また其れまでに達しな
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