識者から示されるので無くては、貞操を現代の道徳として肯定することが出來ないと言ふ意味も、要するに眞實の道徳を建設して私達の道徳性を何物にも動搖されること無しに生きて行きたいと思ふからです。貞操を最も現代的に道徳として擁護したいからです。
貞操の起原や歴史に就て私達は深く研究する必要を感じて居りません。どうでもいい事だと思つて居ます。私達の知らうとする所は貞操に對する現代人の聰明な解釋と眞率な實行とです。
私の持つて居る疑惑の幾つかを順序無しに次に述べて見ませう。
貞操は女のみに必要な道徳でせうか。貞操は男にも女にも必要な道徳でせうか。
貞操は道徳としてどんな場合にも人間が守らねばならぬものでせうか。またどんな場合にも守り得られるものでせうか。
其人の境遇體質などの關係に由つて守り得る場合と守り得ない場合とがありはしませんか。また甲の人に守ることが出來ても、乙の人には守ることが出來ないと云ふやうなことがありはしませんか。何人にもそれを強要して守らせることが出來るのでせうか。
どんな場合にもそれを守ることが屹度人間生活をより眞實に、より自由に、より正確に、より幸福にするもの
前へ
次へ
全12ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング