活に役立つたものでも、今の私達の情意を滿足させないものは最早私達の生活の規律には適合せず、それを強ひて外から適合させようとするのは、虚僞を以て壓制するのですから、私達はさう云ふ無法な道徳を排斥して、私達自身に必要な道徳を新しく制定することに努力しようと思ひます。
道徳は私達の生活のために制定されるので、其れが不必要になり、または私達の生活を害するに到れば漸次に改廢すべきものであらうと思ひます。若し道徳のために人間が生存して居るのであるなら、私達は永久に道徳の奴隸となつて舊い權威の下に屈從せねばなりませんけれど、さう云ふことは飽迄も自由に生きようとする私達の實感が許容しないことです。さうして私達はあらゆる壓制から脱れ、不用な舊思想や舊道徳から自己を解放して行くことが私達の生活に意義あらしめる一つの重大條件だと考へて居ます。
私達が壓制から脱れると云ふ意味は假にも放縱無秩序の生活を送らうとするのでなく、私達の實際生活に必要である限り、聰明な批判商量を經た上で、あらゆる自制律――新道徳、新制度の類――を建設しようとするのです。私達が此に貞操道徳に對して幾多の疑義を挾み、其等の解決を明快に
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