ごと》く甘し。
埃《ほこり》と黴《かび》を透《とほ》して
是等《これら》の帽の上に
セエヌの水の匂《にほ》ひ、
サン・クルウの森の雫《しづく》、
ハイド・パアクの霧、
ミユンヘンの霜、維納《ウイン》の雨、
アムステルダムの入日《いりひ》の色、
さては、また、
バガテルの薔薇《ばら》の香《か》、
仏蘭西座《フランスざ》の人いきれ、
猶《なほ》残れるや、残らぬや、
思出《おもひで》は古酒《こしゆ》の如《ごと》く甘し。
アウギユスト・ロダンは
この帽の下《もと》にて
我手《わがて》に口づけ、
ラパン・アジルに集《あつま》る
新しき詩人と画家の群《むれ》は
この帽を被《き》たる我を
中央に据ゑて歌ひき。
別れの握手の後《のち》、
猶《なほ》一たびこの帽を擡《もた》げて、
優雅なる詩人レニエの姿を
我こそ振返りしか。
ああ、すべて十《と》とせの前《まへ》、
思出《おもひで》は古酒《こしゆ》の如《ごと》く甘し。


    机に凭《よ》りて

今夜、わたしの心に詩がある。
簗《やな》の上で跳《は》ねる
銀の魚《うを》のやうに。
桃色の薄雲の中を奔《はし》る
まん円《まる》い月のやうに。
風と露とに
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