ぬ岩も無い。

一つの紫色《むらさきいろ》をした岩の上には、
波の中の月桂樹《げつけいじゆ》――
緑の昆布《こんぶ》が一つ捧《さゝ》げられる。
飛沫《しぶき》と爆音との彼方《かなた》に、
海はまた遠退《とほの》いて行《ゆ》く。


    女の友の手紙

手紙が山田温泉から著《つ》いた。
どんなに涼しい朝、
山風《やまかぜ》に吹かれながら、
紙の端《はし》を左の手で
抑《おさ》へ抑《おさ》へして書かれたか。
この快闊《くわいくわつ》な手紙、
涙には濡《ぬ》れて来《こ》ずとも、
信濃の山の雲のしづくが
そつと落ち掛つたことであらう。


    涼風

涼しい風、そよ風、
折折《をりをり》あまえるやうに[#「あまえるやうに」は底本では「あまへるやうに」]
窓から入《はひ》る風。
風の中の美《うつ》くしい女怪《シレエネ》、
わたしの髪にじやれ、
わたしの机の紙を翻《ひるが》へし、
わたしの汗を乾かし、
わたしの気分を
浅瀬の若鮎《わかあゆ》のやうに、
溌溂《はつらつ》と跳《は》ね反《かへ》らせる風。


    地震後一年

九月|一日《いちじつ》、地震の記念日、
ああ東京、横浜、
相模、
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