惑に沈み入《い》る
烏羽玉《うはたま》の黒き薔薇《ばら》。
    ×
薔薇《ばら》がこぼれる。
ほろりと、秋の真昼、
緑の四角な瓶《かめ》から
卓の上へ静かにこぼれる。
泡のやうな塊《かたまり》、
月の光のやうな線、
ラフワエルの花神《フロラ》の絵の肉色《にくいろ》。
つつましやかな薔薇《ばら》は
散る日にも悲しみを秘めて、
修道院の壁に凭《よ》る
尼達のやうには青ざめず、
清く貴《あて》やかな処女の
高い、温かい寂《さび》しさと、
みづから抑《おさ》へかねた妙香《めうかう》の
金色《こんじき》をした雰囲気《アトモスフエエル》との中に、
わたしの書斎を浸してゐる。
    ×
まあ華やかな、
けだかい、燃え輝いた、
咲きの盛りの五月《ごぐわつ》の薔薇《ばら》。
どうして来てくれたの、
このみすぼらしい部屋へ、
この疵《きず》だらけの卓《テエブル》の上へ、
薔薇《ばら》よ、そなたは
どんな貴女《きぢよ》の飾りにも、
どんな美しい恋人の贈物にも、
ふさはしい最上の花である。
もう若さの去つた、
そして平凡な月並の苦労をしてゐる、
哀れな忙《せは》しい私が
どうして、そなたの友であらう。

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