スチユ》 の破獄《らうやぶり》ですわ。
蚊
蚊よ、そなたの前で、
人間の臆病心《おくびやうしん》は
拡大鏡となり、
また拡声器ともなる。
吸血鬼の幻影、
鬼女《きぢよ》の歎声《たんせい》。
蛾
火に来ては死に、
火に来ては死ぬ。
愚鈍《ぐどん》な虫の本能よ。
同じ火刑《くわけい》の試練を
幾万年くり返す積《つも》りか。
蛾《が》と、さうして人間の女。
朝顔
水浅葱《みづあさぎ》の朝顔の花、
それを見る刹那《せつな》に、
美《うつ》くしい地中海が目に見えて、
わたしは平野丸《ひらのまる》に乗つてゐる。
それから、ボチセリイの
派手な※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]イナスの誕生が前に現れる。
蝦蟇《がま》
罷《まか》り出ましたは、夏の夜《よ》の
虫の一座の立《た》て者で御座る。
歌ふことは致しませねど、
態度を御覧下されえ。
人間の学者批評家にも
わたしのやうな諸君がゐらせられる。
蟷螂《かまきり》
男性の専制以上に
残忍を極める女性の専制。
蟷螂《かまきり》の雌《めす》は
その雄《をす》を食べてしまふ。
種《しゆ》を殖《ふ》やす外《ほか》に
恋愛を知らない蟷螂《かまきり》。
玉虫
もう、玉虫の一対《つがひ》を
綺麗《きれい》な手箱に飼ふ娘もありません。
青磁色《せいじいろ》の流行が
廃《すた》れたよりも寂《さび》しい事ですね。
今の娘に感激の無いのは、
玉虫に毒があるよりも
いたましい事ですね。
寂寥《せきれう》
漸《やうや》くに我《わ》れ今は寂《さび》し、
独り在るは寂《さび》し、
薔薇《ばら》を嗅《か》げども寂《さび》し、
君と語れども寂《さび》し、
筆|執《と》りて書けども寂《さび》し、
高く歌へば更に寂《さび》し。
小鳥の巣
落葉《おちば》して人目に附《つ》きぬ、
わが庭の高き木末《こずゑ》に
小鳥の巣一つ懸かれり。
飛び去りて鳥の影無し、
小鳥の巣、霜の置くのみ、
小鳥の巣、日の照《てら》すのみ。
末女《すゑむすめ》
我が藤子《ふぢこ》九《ここの》つながら、
小学の級長ながら、
夜更《よふ》けては独り目覚《めざ》めて
寝台《ねだい》より親を呼ぶなり。
「お蒲団《ふとん》がまた落ちました。」
我が藤子《ふぢこ》風引くなかれ。
[#ここで段組終わり]
[#改丁]
[#ページの左右中央から]
薔薇の陰影
(雑詩廿五章)
[#改丁]
[#ここから2段組]
屋根裏の男
暗い梯子《はしご》を上《のぼ》るとき
女の脚《あし》は顫《ふる》へてた。
四角な卓に椅子《いす》一つ、
側《そば》の小さな書棚《しよたな》には
手ずれた赤い布表紙
金字《きんじ》の本が光つてた。
こんな屋根裏に室借《まがり》する
男ごころのおもしろさ。
女を椅子《いす》に掛けさせて、
「驚いたでせう」と言ひながら、
男は葉巻に火を点《つ》けた。
或女《あるをんな》
舞うて疲れた女なら、
男の肩に手を掛けて、
汗と香油《かうゆ》の熱《ほて》る頬《ほ》を
男の胸に附《つ》けよもの。
男の注《つ》いだペパミント[#「ペパミント」は底本では「ペハミント」]
男の手から飲まうもの。
わたしは舞も知りません。
わたしは男も知りません。
ひとりぼつちで片隅に。――
いえ、いえ、あなたも知りません。
椅子の上
寒水石《かんすゐせき》のてえぶるに
薄い硝子《がらす》の花の鉢。
櫂《かひ》の形《かたち》のしやぼてんの
真赤《まつか》な花に目をやれば、
来る日で無いと知りながら
来る日のやうに待つ心。
無地の御納戸《おなんど》、うすい衣《きぬ》、
台湾竹《たいわんちく》のきやしやな椅子《いす》。
恋をする身は待つがよい、
待つて涙の落ちるほど。
馬場孤蝶先生
わたしの孤蝶《こてふ》先生は、
いついつ見ても若い方《かた》、
いついつ見てもきやしやな方《かた》、
品《ひん》のいい方《かた》、静かな方《かた》。
古い細身の槍《やり》のよに。
わたしの孤蝶《こてふ》先生は、
ものおやさしい、清《す》んだ音《ね》の
乙《おつ》の調子で話す方《かた》、
ふらんす、ろしあの小説を
わたしの為《た》めに話す方《かた》。
わたしの孤蝶《こてふ》先生は、
それで何処《どこ》やら暗い方《かた》、
はしやぐやうでも滅入《めい》る方《かた》、
舞妓《まひこ》の顔がをりをりに、
扇の蔭《かげ》となるやうに。
故郷[#「故郷」は底本では「故」]
堺《さかい》の街の妙国寺、
その門前の庖丁屋《はうちよや》の
浅葱《あさぎ》納簾《のれん》の間《あひだ》から
光る刄物《はもの》のかなしさか。
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