け》の無いA《エエ》の字は
掘立《ほつたて》小屋の入《はひ》り口《くち》、
奥に見えるは板敷《いたじき》か、
茣蓙《ござ》か、囲炉裏《いろり》か、飯台《はんだい》か。

小《ち》さくて繊弱《きやしや》なA《エエ》の字は
遠い岬に灯台を
ほつそりとして一つ立て、
それを繞《めぐ》るは白い浪《なみ》。

いつも優しいA《エエ》の字は
象牙《ざうげ》の琴柱《ことぢ》、その傍《そば》に
目には見えぬが、好《よ》い節《ふし》を
幻《まぼろし》の手が弾いてゐる。

いつも明るいA《エエ》の字は
白水晶《しろずゐしやう》の三稜鏡《プリズム》に
七《なな》つの羽《はね》の美《うつ》くしい
光の鳥をじつと抱く。

元気に満ちたA《エエ》の字は
広い沙漠《さばく》の砂を踏み
さつく、さつくと大足《おほあし》に、
あちらを向いて急ぐ人。

つんとすましたA《エエ》の字は
オリンプ山《ざん》の頂《いただき》に
槍《やり》に代へたる銀白《ぎんはく》の
鵞《が》ペンの尖《さき》を立ててゐる。

時にさびしいA《エエ》の字は
半身《はんしん》だけを窓に出し、
肱《ひぢ》をば突いて空を見る
三角|頭巾《づきん》の尼すがた。

しかも威《ゐ》のあるA《エエ》の字は
埃及《エヂプト》の野の朝ゆふに
雲の間《あひだ》の日を浴びて
はるかに光る金字塔《ピラミツド》[#ルビの「ピラミツド」は底本では「ピラミツト」]。

そして折折《をりをり》A《エエ》の字は
道化役者のピエロオの
赤い尖《とが》つた帽となり、
わたしの前に踊り出す。


    蟻の歌
[#地から4字上げ](少年雑誌のために)

蟻《あり》よ、蟻《あり》よ、
黒い沢山《たくさん》の蟻《あり》よ、
お前さん達の行列を見ると、
8《はち》、8《はち》、8《はち》、8《はち》、
8《はち》、8《はち》、8《はち》、8《はち》……
幾万と並んだ
8《はち》の字の生きた鎖が動く。

蟻《あり》よ、蟻《あり》よ、
そんなに並んで何処《どこ》へ行《ゆ》く。
行軍《かうぐん》か、
運動会か、
二千メエトル競走か、
それとも遠いブラジルへ
移住して行《ゆ》く一隊か。

蟻《あり》よ、蟻《あり》よ、
繊弱《かよわ》な体で
なんと云《い》ふ活撥《くわつぱつ》なことだ。
全身を太陽に暴露《さら》して、
疲れもせず、
怠《なま》けもせず、
さつさ、さつさと進んで行《ゆ》く。

蟻《あり》よ、蟻《あり》よ、
お前さん達はみんな
可愛《かは》いい、元気な8《はち》の字少年隊。
行《ゆ》くがよい、
行《ゆ》くがよい、
8《はち》、8《はち》、8《はち》、8《はち》、
8《はち》、8《はち》、8《はち》、8《はち》………[#「………」は底本では「‥‥‥」]

[#ここで段組終わり]
[#改丁]
[#ページの左右中央から]

   壺の花
      (小曲十五章)

[#改丁]
[#ここから2段組]

    コスモス

一本のコスモスが笑つてゐる。
その上に、どつしりと
太陽が腰を掛けてゐる。
そして、きやしやなコスモスの花が
なぜか、少しも撓《たわ》まない、
その太陽の重味に。


    手

百姓の爺《ぢい》さんの、汚《よご》れた、
硬い、節《ふし》くれだつた手、
ちよいと見ると、褐色《かつしよく》の、
朝鮮|人蔘《にんじん》の燻製《くんせい》のやうな手、
おお、之《これ》がほんたうの労働の手、
これがほんたうの祈祷《きたう》の手。


    著物

二枚ある著物《きもの》なら
一枚脱ぐのは易《やす》い。
知れきつた道理を言はないで下さい。
今ここに有るのは一枚も一枚、
十人《じふにん》の人数《にんず》に対して一枚、
結局、どうしたら好《い》いのでせう。


    朱

小さな硯《すゞり》で朱《しゆ》を擦《す》る時、
ふと、巴里《パリイ》の霧の中の
珊瑚紅《さんごこう》の日が一点
わたしの書斎の帷《とばり》[#ルビの「とばり」は底本では「とぼり」]に浮《うか》び、
それがまた、梅蘭芳《メイランフワン》の
楊貴妃《やうきひ》の酔《ゑ》つた目附《めつき》に変つて行《ゆ》く。


    独語《どくご》

思はぬで無し、
知らぬで無し、
云《い》はぬでも無し、
唯《た》だ其《そ》れの仲間に入《い》らぬのは、
余りに事の手荒《てあら》なれば、
歌ふ心に遠ければ。

    ※[#「虫+奚」、第3水準1−91−59]※[#「虫+斥」、第3水準1−91−53]《ばつた》

わたしは小さな※[#「虫+奚」、第3水準1−91−59]※[#「虫+斥」、第3水準1−91−53]《ばつた》を
幾つも幾つも抑《おさ》へることが好きですわ。
わたしの手のなかで、
なんと云《い》ふ、いきいきした
この虫達の反抗力でせう。
まるで BASTILLE《バ
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