れとても人の中《うち》。
    ×
浪《なみ》のひかりか、月の出か、
寝覚《ねざめ》を照《てら》す、窓の中。
遠いところで鴨《かも》が啼《な》き、
心に透《とほ》る、海の秋。
宿は岬の松の岡《をか》。
    ×
十国《じつこく》峠、名を聞いて
高い所に来たと知る。
世《よ》離《はな》れたれば、人を見て
路《みち》を譲らぬ牛もある。
海に真赤《まつか》な日が落ちる。
    ×
すべての人を思ふより、
唯《た》だ一人《ひとり》には背《そむ》くなり。
いと寂《さび》しきも我が心、
いと楽しきも我が心。
すべての人を思ふより。
    ×
雲雀《ひばり》は揚がる、麦生《むぎふ》から。
わたしの歌は涙から。
空の雲雀《ひばり》もさびしかろ、
はてなく青いあの虚《うつ》ろ、
ともに已《や》まれぬ歌ながら。
    ×
鏡の間《ま》より出《い》づるとき、
今朝《けさ》の心ぞやはらかき。
鏡の間《ま》には塵《ちり》も無し、
あとに静かに映れかし、
鸚哥《インコ》の色の紅《べに》つばき。
    ×
そこにありしは唯《た》だ二日、
十和田の水が其《そ》の秋の
呼吸《いき》を猶《なほ》する、夢の中。
痩《や》せて此頃《このごろ》おもざしの
青ざめゆくも水ゆゑか。
    ×
つと休らへば素直なり、
藤《ふぢ》のもとなる低き椅子《いす》。
花を透《とほ》して日のひかり
うす紫の陰影《かげ》を着《き》す。
物みな今日《けふ》は身に与《くみ》す。
    ×
海の颶風《あらし》は遠慮無し、
船を吹くこと矢の如《ごと》し。
わたしの船の上がるとき、
かなたの船は横を向き、
つひに別れて西ひがし。
    ×
笛にして吹く麦の茎、
よくなる時は裂ける時。
恋の脆《もろ》さも麦の笛、
思ひつめたる心ゆゑ
よく鳴る時は裂ける時。
    ×
地獄の底の火に触れた、
薔薇《ばら》に埋《うづ》まる床《とこ》に寝た、
金《きん》の獅子《しし》にも乗り馴《な》れた、
天《てん》に中《ちう》する日も飽《あ》いた、
己《おの》が歌にも聞き恍《ほ》れた。
    ×
春風《はるかぜ》の把《と》る彩《あや》の筆
すべての物の上を撫《な》で、
光と色に尽《つく》す派手。
ことに優れてめでたきは
牡丹《ぼたん》の花と人の袖《そで》。
    ×
涙に濡《ぬ》れて火が燃えぬ。
今日《けふ》の言葉に気息《いき》がせぬ、
絵筆を把《と》れど色が出ぬ、
わたしの窓に鳥が来《こ》ぬ、
空には白い月が死ぬ。
    ×
あの白鳥《はくてう》も近く来る、
すべての花も目を見はる、
青い柳も手を伸べる。
君を迎へて春の園《その》
路《みち》の砂にも歌がある。
    ×
大空《おほそら》ならば指ささん、
立つ波ならば濡《ぬ》れてみん、
咲く花ならば手に摘まん。
心ばかりは形無《かたちな》し、
偽りとても如何《いか》にせん。
    ×
人わが門《かど》を乗りて行《ゆ》く、
やがて消え去る、森の奥。
今日《けふ》も南の風が吹く。
馬に乗る身は厭《いと》はぬか、
野を白くする砂の中。
    ×
鳥の心を君知るや、
巣は雨ふりて冷ゆるとも
雛《ひな》を素直に育てばや、
育てし雛《ひな》を吹く風も
塵《ちり》も無き日に放たばや。
    ×
牡丹《ぼたん》のうへに牡丹《ぼたん》ちり、
真赤《まつか》に燃えて重なれば、
いよいよ青し、庭の芝。
ああ散ることも光なり、
かくの如《ごと》くに派手なれば。[#「なれば。」は底本では「なれば、」]
    ×
閨《ねや》にて聞けば[#「聞けば」は底本では「聞けは」]朝の雨
半《なかば》は現実《うつゝ》、なかば夢。
やはらかに降る、花に降る、
わが髪に降る、草に降る、
うす桃色の糸の雨。
    ×
赤い椿《つばき》の散る軒《のき》に
埃《ほこり》のつもる臼《うす》と杵《きね》、
莚《むしろ》に干すは何《なん》の種。
少し離れて垣《かき》越《こ》しに
帆柱ばかり見える船。
    ×
三《み》たび曲つて上《のぼ》る路《みち》、
曲り目ごとに木立《こだち》より
青い入江《いりえ》の見える路《みち》、
椿《つばき》に歌ふ山の鳥
花踏みちらす苔《こけ》の路《みち》。

[#ここで段組終わり]
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   夢と現実
       (雑詩四十章)

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    明日

明日《あす》よ、明日《あす》よ、
そなたはわたしの前にあつて
まだ踏まぬ未来の
不可思議の路《みち》である。
どんなに苦しい日にも、わたしは
そなたに憬《こが》れて励《はげ》み、
どんなに楽《たのし》い日にも、わたしは
そなたを望んで踊りあがる。

明日《あす》よ、明日《あす》よ、
死と飢《うゑ》とに追はれて歩くわたしは
たびたびそなた
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