自分は此処《ここ》へ二度来る。
この前来た時は
いろんな車に轢《ひ》き殺され相《さう》で、
怖《こは》くて、
広場を横断する勇気が無かつた。
そして輻《ふく》になつた路《みち》を一つ一つ越えて、
モンソオ公園へ行《ゆ》く路《みち》の
アヴニウ・ウツスの入口《いりくち》を見附《みつ》ける為《た》めに、
広場の円の端を
長い間ぐるぐると歩《あ》るいてゐた。
どうした気持のせいでか、
アヴニウ・ウツスの入口《いりくち》を見附《みつ》け損《そこな》つたので、
凱旋門《がいせんもん》を中心に
二度も三度も広場の円の端を
馬鹿《ばか》らしく歩《あ》るき廻つてゐるのであつた。

けれど今日《けふ》は用意がある。
わたしは地図を研究して来てゐる。
今日《けふ》わたしの行《ゆ》くのは
バルザツク街《まち》の裁縫師《タイユウル》の家《いへ》だ。
バルザツク街《まち》へ出るには、
この広場を前へ
真直《まつすぐ》に横断すればいいのである。

わたしは斯《か》う思つたが、併《しか》し、
真直《まつすぐ》に広場を横断するには
縦横《じゆうわう》に絶間《たえま》無く馳《は》せちがふ
速度の速い、いろんな車が怖《こは》くてならぬ。
広場へ出るが最期
二三歩で
轢《ひ》き倒されて傷をするか、
轢《ひ》き殺されてしまふかするであらう……

この時、わたしに、突然、
何《なん》とも言ひやうのない
叡智と威力とが内《うち》から湧《わ》いて、
わたしの全身を生きた鋼鉄の人にした。
そして日傘《パラソル》と嚢《サツク》とを提《さ》げたわたしは
決然として、馬車、自動車、
乗合馬車、乗合自動車の渦の中を真直《まつすぐ》に横ぎり、
あわてず、走らず、
逡巡《しゆんじゆん》せずに進んだ。
それは仏蘭西《フランス》の男女の歩《あ》るくが如《ごと》くに歩《あ》るいたのであつた。
そして、わたしは、
わたしが斯《か》うして悠悠《いういう》と歩《あ》るけば、
速度の疾《はや》いいろんな怖《おそ》ろしい車が
却《かへ》つて、わたしの左右に
わたしを愛して停《とゞ》まるものであることを知つた。

わたしは新しい喜悦に胸を跳《をど》らせながら、
斜めにバルザツク街《まち》へ入《はひ》つて行つた。
そして裁縫師《タイユウル》の家《いへ》では
午後二時の約束通り、
わたしの繻子《しゆす》のロオヴの仮縫《かりぬひ》を終つて
若い主人夫婦がわたしを待つてゐた。


    薄暮《はくぼ》

ルウヴル宮《きゆう》[#ルビの「きゆう」は底本では「きう」]の正面も、
中庭にある桃色の
凱旋門《がいせんもん》もやはらかに
紫がかつて暮れてゆく。
花壇の花もほのぼのと
赤と白とが薄くなり、
並んで通る恋人も
ひと組ひと組暮れてゆく。
君とわたしも石段に
腰掛けながら暮れてゆく。


    ※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ルサイユの逍遥

※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ルサイユの宮《みや》の
大理石の階《かい》を降《くだ》り、
後庭《こうてい》の六月の
花と、香《か》と、光の間《あひだ》を過ぎて
われ等《ら》三人《みたり》の日本人は
広大なる森の中に入《い》りぬ。

二百《にびやく》年を経たる※[#「木+無」、第3水準1−86−12]《ぶな》の大樹《だいじゆ》は
明るき緑の天幕《てんと》を空に張り、
その下《もと》に紫の苔《こけ》生《お》ひて、
物古《ものふ》りし石の卓一つ
匐《は》ふ蔦《つた》の黄緑《わうりよく》の若葉と
薄赤き蔓《つる》とに埋《うづ》まれり。

二人《ふたり》の男は石の卓に肘《ひぢ》つきて
苔《こけ》の上に横たはり、
われは上衣《うはぎ》を脱ぎて
※[#「木+無」、第3水準1−86−12]《ぶな》の根がたに蹲踞《うづくま》りぬ。
快き静けさよ、かなたの梢《こずゑ》に小鳥の高音《たかね》……
近き涼風《すゞかぜ》の中に立麝香草《たちじやかうさう》の香り……

わが心は宮《みや》の中《うち》に見たる
ルイ王とナポレオン皇帝との
華麗と豪奢《がうしや》とに酔《ゑ》ひつつあり。
后《きさき》達の寝室の清清《すがすが》しき白と金色《こんじき》……
モリエエルの演じたる
宮廷劇場の静かな猩猩緋《しやう/″\ひ》……

されど、楽しきわが夢は覚めぬ。
目まぐるしき過去の世紀は
かの王后《わうこう》の栄華と共に亡びぬ。
わが目に映るは今
脆《もろ》き人間の外《ほか》に立てる
※[#「木+無」、第3水準1−86−12]《ぶな》の大樹と石の卓とばかり。

ああ、われは寂《さび》し、
わが追ひつつありしは
人間の短命の生《せい》なりき。
いでや、森よ、
われは千年の森の心を得て、
悠悠《いう/\》と人間の街に帰るよしもがな。


    仏蘭西の海岸にて

さあ、あなた、磯《いそ》へ出ませう、
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