じつと抑《おさ》へる心もち。
それに、わたしの好きなのは、
白蝋《はくらふ》の灯《ひ》にてらされた
夢見ごころの長襦袢《ながじゆばん》、
この匂《にほ》はしい明りゆゑ、
君なき閨《ねや》もみじろげば
息づむまでに艶《なまめ》かし。
児等《こら》が寝すがた、今一度、
見まはしながら灯《ひ》をば消し、
寒い二月の床《とこ》のうへ、
こぼれる脛《はぎ》を裾《すそ》に巻き、
つつましやかに足曲げて、
夜著《よぎ》を被《かづ》けば、可笑《をか》しくも
君を見初《みそ》めたその頃《ころ》の
娘ごころに帰りゆく。
旅の良人《をつと》も、今ごろは
巴里《パリイ》の宿のまどろみに、
極楽鳥の姿する
わたしを夢に見てゐるか。
東京にて
わたしはあまりに気が滅入《めい》る。
なんの自分を案じましよ、
君を恋しと思ひ過ぎ、
引き立ち過ぎて気が滅入《めい》る。
「初恋の日は帰らず」と、
わたしの恋の琴の緒《を》に
その弾き歌は用が無い。
昔にまさる燃える気息《いき》。
昔にまさるため涙。
人目をつつむ苦しさに、
鳴りを沈めた琴の絃《いと》、
じつと哀《かな》しく張り詰める。
巴里《パリイ》の大路《おほぢ》を行《ゆ》く君は
わたしの外《ほか》に在るとても、
わたしは君の外《ほか》に無い、
君の外《ほか》には世さへ無い。
君よ、わたしの遣瀬《やるせ》なさ、
三月《みつき》待つ間《ま》に身が細り、
四月《よつき》の今日《けふ》は狂ひ死《じ》に
するかとばかり気が滅入《めい》る。
人並ならぬ恋すれば、
人並ならぬ物おもひ。
其《そ》れもわたしの幸福《しあはせ》と
思ひ返せど気が滅入《めい》る。
昨日《きのふ》の恋は朝の恋、
またのどかなる昼の恋。
今日《けふ》する恋は狂ほしい
真赤《まつか》な入日《いりひ》の一《ひと》さかり。
とは思へども気が滅入《めい》る。
若《も》しもそのまま旅に居て
君帰らずばなんとせう。
わたしは矢張《やはり》気が滅入《めい》る。
図案
久しき留守に倚《よ》りかかる
君が手なれの竹の椅子《いす》。
とる針よりも、糸よりも、
女ごころのかぼそさよ。
膝《ひざ》になびいた一《ひと》ひらの
江戸紫に置く繍《ぬひ》は、
ひまなく恋に燃える血の
真赤な胸の罌粟《けし》の花。
花に添ひたる海の色、
ふかみどりなる罌粟《けし》の葉は、
君が越えたる浪形《なみがた》に
流れて落ちるわが涙。
さは云《い》へ、女のたのしみは、
わが繍《ぬ》ふ罌粟《けし》の「夢」にさへ
花をば揺する風に似て、
君が気息《いき》こそ通《かよ》ふなれ。
旅に立つ
いざ、天《てん》の日は我がために
金《きん》の車をきしらせよ。
颶風《あらし》の羽《はね》は東より
いざ、こころよく我を追へ。
黄泉《よみ》の底まで、泣きながら、
頼む男を尋ねたる
その昔にもえや劣る。
女の恋のせつなさよ。
晶子や物に狂ふらん、
燃ゆる我が火を抱きながら、
天《あま》がけりゆく、西へ行《ゆ》く、
巴里《パリイ》の君へ逢《あ》ひに行《ゆ》く。
[#地から4字上げ](一九一二年五月作)
子等に
あはれならずや、その雛《ひな》を
荒巌《あらいは》の上の巣に遺《のこ》し、
恋しき兄鷹《せう》を尋ねんと、
颶風《あらし》の空に下《お》りながら、
雛《ひな》の啼《な》く音《ね》にためらへる
若き女鷹《めだか》の若《も》しあらば。――
それは窶《やつ》れて遠く行《ゆ》く
今日《けふ》の門出の我が心。
いとしき児《こ》らよ、ゆるせかし、
しばし待てかし、若き日を
猶《なほ》夢を見るこの母は
汝《な》が父をこそ頼むなれ。
巴里より葉書の上に
巴里《パリイ》に著《つ》いた三日目に
大きい真赤《まつか》な芍薬《しやくやく》を
帽の飾りに附《つ》けました。
こんな事して身の末《すゑ》が
どうなるやらと言ひながら。
エトワアルの広場
土から俄《には》かに
孵化《ふくわ》して出た蛾《が》のやうに、
わたしは突然、
地下電車《メトロ》から地上へ匐《は》ひ上がる。
大きな凱旋門《がいせんもん》がまんなかに立つてゐる。
それを繞《めぐ》つて
マロニエの並木が明るい緑を盛上げ、
そして人間と、自動車と、乗合馬車と、
乗合自動車との点と塊《マツス》が
命ある物の
整然とした混乱と
自主独立の進行とを、
断間《たえま》無しに
八方《はつぱう》の街から繰出し、
此処《ここ》を縦横《じゆうわう》[#ルビの「じゆうわう」は底本では「じうわう」]に縫つて、
断間《たえま》無しに
八方《はつぱう》の街へ繰込んでゐる。
おお、此処《ここ》は偉大なエトワアルの広場……
わたしは思はずじつと立ち竦《すく》む。
わたしは思つた、――
これで
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