園中
蓼《たで》枯れて茎|猶《なほ》紅《あか》し、
竹さへも秋に黄ばみぬ。
園《その》の路《みち》草に隠れて、
草の露昼も乾かず。
咲き残るダリアの花の
泣く如《ごと》く花粉をこぼす。
童部《わらはべ》よ、追ふことなかれ、
向日葵《ひまはり》の実を食《は》む小鳥。
人知らず
翅《つばさ》無き身の悲しきかな、
常にありぬ、猶《なほ》ありぬ、
大空高く飛ぶ心。
我《わ》れは痩馬《やせうま》、黙黙《もくもく》と
重き荷を負ふ。人知らず、
人知らず、人知らず。
飛行船
外《よそ》の国より胆太《きもぶと》に
そつと降りたる飛行船、
夜《よ》の間《ま》に去れば跡も無し。
我はおろかな飛行船、
君が心を覗《のぞ》くとて、
見あらはされた飛行船。
柳
六《む》もと七《なゝ》もと立つ柳、
冬は見えしか、一列の
廃墟《はいきよ》に遺《のこ》る柱廊《ちゆうらう》[#ルビの「ちゆうらう」は底本では「ちうらう」]と。
春の光に立つ柳、
今日《けふ》こそ見ゆれ、美《うつ》くしく、
これは翡翠《ひすゐ》の殿《との》づくり。
易者に
ものを知らざる易者かな、
我手《わがて》を見んと求むるは。
そなたに告げん、我がために
占ふことは遅れたり。
かの世のことは知らねども、
わがこの諸手《もろで》、この世にて、
上なき幸《さち》も、わざはひも、
取るべき限り満たされぬ。
甥
甥《をひ》なる者の歎くやう、
「二十《はたち》越ゆれど、詩を書かず、
踊《をどり》を知らず、琴弾かず、
これ若き日と云《い》ふべきや、
富む家《いへ》の子と云《い》ふべきや。」
これを聞きたる若き叔母、
目の盲《し》ひたれば、手探りに、
甥《をひ》の手を執《と》り云《い》ひにけり、
「いと好《よ》し、今は家《いへ》を出よ、
寂《さび》しき我に似るなかれ。」
花を見上げて
花を見上げて「悲し」とは
君なにごとを云《い》ひたまふ。
嬉《うれ》しき問ひよ、さればなり、
春の盛りの短くて、
早たそがれの青病《クロシス》が、
敏《さと》き感じにわななける
女の白き身の上に
毒の沁《し》むごと近づけば。
我家の四男
おもちやの熊《くま》を抱く時は
熊《くま》の兄とも思ふらし、
母に先だち行《ゆ》く時は
母より路《みち》を知りげなり。
五歳《いつゝ》に満たぬアウギユスト、
みづから恃《たの》むその性《さが》を
母はよしやと笑《ゑ》みながら、
はた涙ぐむ、人知れず。
正月
紅梅《こうばい》と菜《な》の花を生《い》けた壺《つぼ》。
正月の卓《テエブル》に
格別かはつた飾りも無い。
せめて、こんな暇にと、
絵具箱を開《あ》けて、
わたしは下手《へた》な写生をする。
紅梅《こうばい》と菜《な》の花を生《い》けた壺《つぼ》。
唯一《ゆひいつ》の問《とひ》
唯《た》だ一つ、あなたに
お尋ねします。
あなたは、今、
民衆の中《なか》に在るのか、
民衆の外《そと》に在るのか、
そのお答《こたへ》次第で、
あなたと私とは
永劫《えいごふ》[#ルビの「えいごふ」は底本では「えいがふ」]、天と地とに
別れてしまひます。
秋の朝
白きレエスを透《とほ》す秋の光
木立《こだち》と芝生との反射、
外《そと》も内《うち》も
浅葱《あさぎ》の色に明るし。
立ちて窓を開けば
木犀《もくせい》の香《か》冷《ひや》やかに流れ入《い》る。
椅子《いす》の上に少しさし俯《うつ》向き、
己《おの》が手の静脈の
ほのかに青きを見詰めながら、
静かなり、今朝《けさ》の心。
秋の心
歌はんとして躊躇《ためら》へり、
かかる事、昨日《きのふ》無かりき。
善《よ》し悪《あ》しを云《い》ふも慵《ものう》し、
これもまた此《この》日の心。
我《わ》れは今ひともとの草、
つつましく濡《ぬ》れて項垂《うなだ》[#「項垂」は底本では「頂垂」]る。
悲しみを喜びにして
爽《さわや》かに大いなる秋。
今宵の心
何《なん》として青く、
青く沈み入《い》る今宵《こよひ》の心ぞ。
指に挟《はさ》む筆は鉄の重味、
書きさして見詰むる紙に
水の光流る。
我歌
求めたまふや、わが歌を。
かかる寂《さび》しきわが歌を。
それは昨日《きのふ》の一《ひと》しづく、
底に残りし薔薇《ばら》の水。
それは千《ち》とせの一《ひと》かけら、
砂に埋《うも》れし青き玉《たま》。
憎む
憎む、
どの玉葱《たまねぎ》も冷《ひやゝ》かに
我を見詰めて緑なり。
憎む、
その皿の余りに白し、
寒し、痛し。
憎む、
如何《いか》なれば二方《にはう》の壁よ、
云《い》ひ合せて耳を立つるぞ。
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