なほ四方《よも》の木を揺《ゆす》る。

わが町の木と屋根と皆黒し、
唯だ疎らに黄なるは
街灯の点のみ。

一台のトラツク遠きに黙し、
誰《た》が家のラヂオか、
濁《だ》みごゑの講演起る。

東の方、遥なる丘の上に、
うす桃色の靄長く引けるは、
東京の明かりならん。

我れ独り屋上の暗きに坐る。
燦爛たる星、
満身には風。

つくづくと天の濶きを見上げて、
つつましき心に、この時、
感謝の涙流る。


  「久住山の歌」の序詩

我等近く来るたびに、
久住の山、
雲動き霧馳せて、
雨さへも荒し。

久住の山、
我等の見るは、
頂にあらずば裾の
わづかに一部。

一部なれども、
深むらさきの壁に
天の一方を塞ぎ、
隠れまた現る。

ああ全貌を見ずとも、
久住の山、
大地より卓立して
威容かくの如し。

ねがはくは我等の歌、
云ふ所は短けれども、
久住の山
この中にも在れ。


  吉本米子夫人に

日木は伸びたり、
滿洲の荒野も今は
大君の御旗のもと。

よきかな、我友吉本夫人、
かかる世に雄雄しくも
海こえて行き給ふ。

願はくは君に由りて、
その親しさを加へよ、
日満の民。

夫人こそ東の
我等女子に代る
平和の使節。

君の過ぎ給ふところ、
如何に愛と微笑の
美くしき花咲かん。

淑《しと》やかにつつましき夫人は
語らざれども、その徳
おのづから人に及ばん。

ああ旅順にして、日露の役に
死して還らぬ夫君《ふくん》の霊、
茲に君を招き給ふか。

行き給へ、吉本夫人、
生きて平和に尽すも
偏《ひとへ》に大御代の為めなり。

まして君は歌びと、
新しき滿洲の感激に
みこころ如何に躍らん。

我れは祝ふ、吉本夫人、
非常時は君を起たしむ、
非常時は君を送る。


  月

月、まどかな月、
永遠の処女のやうな月、
昭和八年の中秋の月。
昨夜《ゆうべ》まで三夜《みよ》続けて見た月は
山に、湖上に、海に、
美くしい自然と
友情のなかで眺めた月、
そなた[#「そなた」に傍点]を観た私からは
百首の歌が流れて出た。
今夜の私は沈黙して居よう、
沈黙してそなた[#「そなた」に傍点]に聴かう。
そなた[#「そなた」に傍点]は雲を出て踊り、
そなた[#「そなた」に傍点]は雲に入つて歌ふ。
木犀の香はそなた[#「そなた」に傍点]の息、
竹のそよぎはそなた[#「そなた」に傍点]の衣ずれ。
ああ月よ、
そなた[#「そなた」に傍点]は私を迎へて
かの高きへ引き上げる。
私は今、光る雲の上で、
そなた[#「そなた」に傍点]と遊んでゐる。

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 昭和九年


  那須に病みて

下つ毛の八溝《やみぞ》の山を
高原《たかはら》の那須より見れば、
いと長く、はた、いと低し。
指さして人教ふらく、
かしここそ陸奥《みちのく》ざかひ、
いにしへの世の作者たち、
遠きをば現はすことに
白河の関を引きつれ、
その里は山の裾なり。
雪の日の斯かるけしきを
端近く出でて望めど、
昨日より病のあれば
いにしへの世も身に沁まず、
今のことはた気疎《けうと》くて、
みづからの目に見るものは、
今少し陸奥よりも、
白河の関よりも猶
遥かにて、雪いと白く、
ひた寒き、この世ならざる
国のさかひぞ。


  楓の芽

やさしい楓の枝、小枝、
今、伸ばしはじめた
紅い新芽、
柿右衛門の手法と
芸術境を
正に此の楓は知つてゐる。

かはいい小鳥の足とても、
こんなに繊細な
美くしさは持つてゐない。
珊瑚の小枝は是れよりも剛《かた》く、
紅い糸状の海草の或物は
是れに似て、併し柔軟に過ぎる。

楓の紅い新芽よ、
そなたのみである、
花と若葉の多いなかに
繊麗深紅の一体を立てて、
そのつつましい心と姿で
四月の太陽を讃めるのは。


  西宮市立高等女学校校歌

自《みづか》ら春の園に入り
花を作るも勇みあり。
況《ま》して自ら楽みて
学ぶ我等の気は揚がる。

この楽しみを共にして、
あまた良き師に導かれ、
ここに学べる朗らかさ、
西宮《にしのみや》なる高女生。

北には六甲、東には
生駒山脈そびえたり。
我等ながめて、永久《とこしへ》の
山の力に励まさる。

大坂湾の大《だい》なるに、
紀淡海峡遠白し。
我等ながめて、おのづから、
内の心を濶くする。

日本の少女《をとめ》いそしむは
古き世からの習ひなり。
我等おのおの身を鍛へ、
常に凜凜しき姿あり。

我等の愛は限り無し、
自然、道徳、学の愛、
家庭、交友、国の愛、
国の内外《うちと》の人の愛。

是等の愛を生かすため、
善を行ひ、智を磨き、
女子の我等も、大御代に
永く至誠の民たらん。

我等は思ふ、御代の恩、
更に師の恩、親の恩。
謝せよ、互に学べるは
高き是等のみなさけぞ。

我等は嫌ふ、軽佻を、
無智を、惰弱を、妄動を。
起れ、聡明、堅実の
清き日本よ、我等より。

ああ、もろともに祝ひなん、
西宮なる高女生、
ここに学びて樹《た》つるなり。
斯かる理想の光る旗。


  市立高岡高等女学校校歌

我等の歌は、もろともに
内の理想の叫びなり。
また、みづからを励まして
呼ばるる声ぞ、いざ歌へ。

平野のかなた、天つ空、
峰を連ぬる立山に
比《よそ》へんばかり、われわれも
明るく高き心あれ。

桜の馬場に花ひかり、
古城公園松|秀《ひい》づ。
やさしき花のわれわれも
身の健やかさ、松に似よ。

婦人の徳の本《もと》として、
愛を養ひ、智を磨き、
善事に励む習はしの
楽しき日をば重ねなん。

ああ、大御代に生れ来て、
われら少女《をとめ》も学ぶなり。
このありがたき幸ひを
空しくせざれ、わが友よ。

互に他をば敬ひて、
ともに自ら重んぜん。
師の君たちの御教《みをしへ》に
いざ、つつましく従はん。

この感激をくり返し、
同じ理想に手をつなぎ、
確かに一歩、また一歩、
勇みて進む朗らかさ。

高岡市立高女生、
これを我等の誇りとす。
凜凜しき今日のよき少女《をとめ》、
輝やく明日の人の母。


  琉球の団扇

ありがたう、琉球の友よ、
送り給へる檳榔の葉の団扇
昨日より我手にあり。
我れは此の形を
陰暦十日の月と見て
那覇の港の夜を思ひ、
なつかしき君が心も
此の風にまじると思へり。
この団扇には柄無し、
大きく手に掴みて取れば
乾隆の詩箋を捧ぐるが如し。
我れは是れを額に載せて眠り
その南島の夢を見ん。


  小鳥の巣

何と云ふ小鳥の巣ならん、
うす赤き幹の
枝三つ斜めして並べるに、
枯れし小枝と、苔と、
すすきの穂とを組みて、
二寸の高さにまろく、
満月の形したり。

巣のある木を
更に上より傘したるは
方三丈の大樹、
などか小鳥は
その黒樺をえらばずして、
きやしやなる幹の
沙羅の枝に住みつらん。

小鳥の巣、
今は既に空ろなり、
ここにて孵《かへ》しし雛と共に
その親鳥の飛び去れるは何処《いづこ》ぞ。
谷の風吹きのぼるたびに
熊笹、山の林の奥にまで浪打ち、
前には遠き連山に八月の雪あり。

小鳥の巣、
幸ひあれよ、
その飛び去れる小鳥らに。
我れもまた今日は旅びと、
恐らく、東京の我が家をも
この巣の如くさし覗きて、
我が旅のために祈る友あらん。


  愛国者

小田原より東京へ
むし暑き日の二時間、
我れは二人《ふたり》の愛国者と乗合せぬ、
二人は論じ且つ論ず。

その対象となる固有名詞は
すべて大臣大将なれど、
その末に敬称を附せざるは
二人の自負のより高きが為めならん。

満員の列車、
避くべき席も無し。
我れは久しく斯かる英雄に遇はず、

されば謹みて猶聴きぬ。

日米のこと、日露のこと
政党弾圧のこと、
首相を要せず、外務大臣を要せず、
天下は二人ありて決するが如し。

大船駅停車の二分に
我れは今日の夕刊を買ひぬ。
新聞には「昭和九年」とあれど、
我れの前の二人は明治型の国士なり。

新聞を開きて、我れは現代に返る。
一面の隅に如是閑先生の文章あり。
偶然にも取上げたる新聞は
英雄たちと我れの間に幕となりぬ。


  防空演習の夜

今日《けふ》は九月一日、
誰れか震災を回顧する遑《いとま》あらん。
敵機の襲来を仮想して、
全市の人、防空に力《つと》む。

午後六時、
サイレンは鳴りわたる。
子らよ、灯を皆消せるか、
戸をすべて鎖しつるか。

良人と、我れと、
泊り合せたる是山《ぜざん》ぬしと、
暗き廊を折れ曲りて
采花荘《さいくわさう》の書斎に入る。

手探りに電灯をひねれば、
被《おほ》ひたる黒き布長く垂れて、
下二尺
わづかにも円《まろ》く光りぬ。

雨、雨、俄かなる雨、
風さへも荒く添へり。
サイレンに交りて
砲声遠く起る。

防護団の若き人人、
今、敏活の動作いかなるべき。
いざ、斯かる夜に歌詠まん、
屋外の任務に就かぬ我等は。


この即興の言葉に、
是山ぬし先づ微笑み、
良人はうなづきて
煙草《たばこ》に火を附けぬ。

黙して紙に向へば、
サイレンと、暴雨と、砲声と、
是れ、我等を励ますなり、
我等の気は揚がる。

但だ、筆を執る姿は
軒昂たること難し、
俯向ける三人の背に
全市の闇を負へり。

少時《しばし》して、突然、
地震なり、
板戸、硝子戸、鳴りとどろき、
家三たび荒く揺れぬ。

子の一人馳せ来て告ぐ、
横浜なる防空本部のラヂオ
今云ひぬ、
「この松屋の屋上も揺れつつあり」と。

人は敵機の空襲に備へて、
震災記念日を忘れたれど、
大地は忘れずして
我等を驚かしつるならん。

砲声は更に加はる、
敵機、市の空に入れるか。
驚異と惶惑の夜、
我等は猶筆を執る。


  九段坂の涼夜

九段の坂の上に来て、
大東京の中央に
高く立つこそ涼しけれ。

まして今宵の大空は
秋にも通ふ色をして、
濃いお納戸《なんど》の繻子《しゆす》を張り、

しとどに置ける露のごと、
星みな白くまたたくは、
空にも風のそよぐらん。

見下ろす街は近きより
遠きへかけて奥のある
墨と浅葱《あさぎ》を盛り重ね、

飾りとしたる灯の色は
濡れたる金《きん》に交へたり、
紅き瑪瑙とエメラルド。

ここにて聴けば、輪の軋り、
汽笛の叫び、それもまた
喜び狂ふ楽となり、

今宵の街を満たすもの、
行き交ふ袖も、私語《ささめき》も、
すべて祭の姿なり。

かかる心地に、我れ曾て
モンマルトルの高きより
宵の巴里《パリイ》を眺めけり。

おなじ心地に、今宵また
明るき御代の我が都
大東京を観ることよ。

いとま無き身に唯だ暫し、
九段の坂の上に来て
高く立つこそ涼しけれ。


  北信の歌

    (山崎矢太郎氏の詩集に序する擬古一章)
わが恋ふる北の信濃は、
雲分けてむら山聳え、
沙わしり行く川長し。
あけがたの浅間のふもと、
たそがれの碓氷の峠、
幾たびも我れを立たしめ、
思ふこと尽くべくも無し。
子らと来てまたも遊ばん、
夫子《せこ》と居て常に歌はん、
飽くことを知らぬ心に
かくさへも願ふなりけり。
ましてまた松川の奥、
紅葉する渓の深さよ。
小舟《をぶね》をば野尻に浮べ、
いで湯をば野沢に浴びて、
霧を愛で、月をよろこび、
日を経ればいよいよ楽し。
往きかへり、千曲《ちくま》の川の
橋こえて打見わたせば、
とりどりに五つの峰の
晴わたる雲を帯ぶるも、
云ひ古りし常の言葉に
讃ふべきすべの無きかな。
旅の身はあはれと歎き、
唯だ暫し見てこそ過ぐれ。
羨まし、この国の人
常に見てこころ足るらん。
言《こと》を寄す、その人人よ、
今の世の都に染まぬ
新しく清き歌あれ、
この山と水に合せて
美しく高き歌あれ、
なつかしく光りたる国
北の信濃に。


  小鳥の巣(押韻小曲)

蔭にわたしを立てながら、
優しく物を云ひ掛ける。
もう落葉した路の楢。
楢とわたしは目で語る、
風が聴かうと覗くから。
   ×
杉にからんだ蔓を攀ぢ、
秋の夕日が食べてゐる、
山の葡萄の朱の紅葉《もみぢ》。
ちぎれて低く駆けて来る
雲は二三の野の羊。
   ×
わたしを何処へ捨てたのか、
とんと思ひがまとまらぬ。

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