晶子詩篇全集拾遺
與謝野晶子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)終《つひ》の身
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)わたしは又|良人《うち》に
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「姉」の正字、「※[#第3水準1−85−57]」の「木」に代えて「女」、9巻−305−下−12]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)はた/\と音する
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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明治三十二年
春月
別れてながき君とわれ
今宵あひみし嬉しさを
汲てもつきぬうま酒に
薄くれなゐの染いでし
君が片頬にびんの毛の
春風ゆるくそよぐかな。」
たのしからずやこの夕
はるはゆふべの薄雲に
二人のこひもさとる哉
おぼろに匂ふ月のもと
きみ心なきほゝゑみに
わかき命やさゝぐべき。」
わがをひ
やよをさなこよなれが目の
さやけき色をたとふれば
夕のそらの明星か
たわゝに肥えし頬の色は
濃染の梅に白ゆきの
かゝれる色か唇の
深紅の色は汝をば
はてなくめづる此をばの
ま心にしも似たるかな
かたことまじり※[#「姉」の正字、「※[#第3水準1−85−57]」の「木」に代えて「女」、9巻−305−下−12]様と
我が名よばるゝそのたびに
あゝわがむねに浪ぞ立つ。
あゝさるにても幼子よ
恋故くちし此をばが
よきいましめぞ忘れても
枯野か原をひとりゆく
かなしき恋をなすなかれ
千草八千草さきみてる
そのはなぞのにぬる蝶の
たのしき夢は見るもよし
あゝそれとてもつかのまよ
思へばはかなをさな子よ
など人の世にうまれ来し
いつ迄くさのいつ迄も
かくてぞあらんすべもがな
神のすがたをそのまゝに
後の身
生きての後ののちの身は
何にならんと君は思ふ
恋しき人はほゝゑみて
我は花咲く木とならむ
さらばゆかしき桜木か
朝日に匂ふさま見れば
君が心にふさはしき
すがたは外にあらじかし
さかりいみじき一ときの
夢は昨日とすぎされば
今日はとひこん人もなき
心のうらを見んもうし
さらば軒端のたちばなか
しづかふせやのうち迄も
香あまねき匂ひこそ
君が心のそれならめ
昔の恋を思ひねの
夢のまくらに香りゆき
たまも消ゆべくわび人の
なげく涙を我は見じ
されば深山の楓にか
千入にそむるくれなゐの
もゆる思ひのある君と
頼める我の違へりや
きみがかごとぞおかしさよ
秋のもみぢと我ならじ
立田の姫の御心に
淡きと濃きの恨あり
うつろひやすき人の世に
ときめく木々ぞうたてかる
松の千年はたのまねど
ゆるがぬ色のなつかしや
ミユーズの神のすべ給ふ
岩間の清水わくほとり
枝をかはして君と我
松の大樹とならんかな
夏の山行く旅人に
涼しき影をつくるべく
いろうるはしき乙女子が
恋のさはりをなげく時
うき世のうさ蔽ふべく
若き詩人の木のもとに
恋のうたはむ夕あらば
清きしらべをともに合さん
[#改ページ]
明治三十三年
わかれ
君埋れ木の時を得て
花もみもあるかの君に
とつぎますなるよろこびを
ことほぐことば我れもてど
別れの今のかなしさに
おつる涙をいかにせむ
心弱きを今さらに
あやしむ勿れ我が友よ
雲のよそなる西の京
祇園あたりの高楼の
おばしま近く彼の君と
春を惜まん夕あらば
忘れ草生ふ住吉の
松原つゞき茅渟の浦
つらはなれたる雁金の
音になくあたり忍べ君
あれかさのみ多き世に
人の心のつらき時
同じ思ひに泣く友の
はるかにありと知れよかし
松の葉ごしの夕月に
君が片ほの青きかな
かのあづまやのともしびは
我がまたゝきに似たらんか
ふたりのたてる袖がきに
絶えず散り来る白梅の
再びさかむその春に
我は逢ふとも思ほえず
忘るゝなかれこの夕
忘れ給ふな此夕
鴨の流れは清くとも
さがの桜はいみじかるとも
紅情紫根
(人の『山蓼』の詩にそへて友におくれる)
ほそ筆もつ子
え堪へんや
友の終《つひ》の身
調《てう》を問ふな
長き詩みじかき歌
ある日ある時
ねたしと見し
そのゑすがた
手筥に今
後《のち》も秘めむ
理想の友
姉と謂ひて
うなじまくに
このかひな
あまりかよわし
とかば髪
四尺はあらむ
胸により
わななくたけなが
あゝ裏くれなゐ
真玉に似たる
涙のおもて
ぬぐはんいざ君
朱《あけ》の袖口
われも少女《をとめ》
日はいつ六日《むいか》
理想《おもひ》わかき子
葬り終んぬ
霧ふかき京の山
あゝ恨み
[#改ページ]
明治三十四年
きのふ
平調の琴柱《ことぢ》のくばり
月うすき今宵の春の
おもひにあはず歌のりかぬる
神こよひ人恋ひそめし
子の指にふれて立つ音と
ゑみかたぶけて聴きますらむか
手はすががき琴よ忘るな
海棠の紅《べに》をしぼりて
のらぬこの歌絹に染めおかむ
まぼろし
ともしび危し
河風おほはむ
紫の袖
そがひを許せ暫し
ともし火ようなし
鬢いとへとや
君その小指《をゆび》
かりに労をとれな
あな消えぬともし火
君いづこ
またも風
ちらば恨みむ情《なさけ》の歌
御手か君ゆるせ
あつきは何とや
わかき唇
君われ切《せつ》な
わが魂《たま》あな君
変化《へんげ》今
奪ひ去《い》なんぞ
ともし火よばむ
河づらの宿
朝がすみ
欄により
人もの云はぬ朝あけ
大ひえの山
すそ紫なり
岡崎の里
霜のあした
ゆきし三人《みたり》
あゝいつの秋
君を兄とよびて
紅葉かざせし二人
やゝひくかりき
合がさのひと
黒谷の坂
石おほきみち
何れにかさむ手と
まどひしは誰れ
うさぎに見とれし
わかきまなざし
忘れず牧塲《まきば》かど
君歌ありき
おもへばその時
恋をもかたりぬ
あゝ罪しらんや
をさなかりし
はらからのおもひ
それなりき
そのひとも
今とてあゝ神
住の江の浦
蝶のむくろそへて
わすれ草つみぬ
ちさきその人
すゝめしは何
秋赤き花
いのると泣きぬ
わがおもはるゝ恋
涙なからんや
われ少女《をとめ》なり
歌なからんや
西の京の山
[#改ページ]
明治三十五年
宵寝
盗人に宵寝の春を怨じけり
盗人に雛を誇る寝顔かな
雛の灯に盗人を追ふ夜半の春
戸まで具して雛を捨てし盗人か
雛の句は袂ながらに盗まれし
盗まれし紫繻子や節句の帯
つみびと
わかきをよびてつみ人と
君よび給ふつみ人が
五つのゆびはふるる緒に
ものゝ音《ね》をひくちからあり
とけては朝のみづうみに
むらさきながすわが髪や
みだれてもゆるくちびるは
ここにまた見る花のいろ
君よ火かげにすかし見よ
君がぬかづく神いづこ
寺に古りたるしらかべの
声なき畫《ゑ》とは何れぞや
かくもいみじきつみ人の
ふるさとこそは君しるや
はたまた美《よき》をつみ人と
名づくる国へつれこしや誰
ひとぢ琴
もとより琴の緒にしあれど
うらみにひくき音もこもり
のろひにたかきおともせむ
ほそ緒しら木のひと柱《ぢ》琴
君ふれ給ふことなかれ
もとより恋の琴なれば
はだやはらかういだかれて
きくべき胸のささやきを
あこがるるともしたふとも
あゝ君ふるることなかれ
ひと緒の琴のわが恋は
ひとりの人にふれてより
やむよしもなき音《ね》は高う
恋にうらみにある時は
人をのろひにやすきひまなき
[#改ページ]
明治三十六年
玉の小櫛
一
竜神うろくづ海のつかひ女《め》
肩さし手さし供奉《ぐぶ》しまつるは
管《すが》だたみ八つ皮だたみ八つ
数へおよばぬ帛《きぬ》うはだたみ
三重《みへ》の御輿《みこし》に花とこぼれて
赤《あけ》の御袴《みはかま》ましら大御衣《おほみぞ》
おん正身《さうじみ》のみじろぐたびに
小波わきて飾る黒髪
潮《うしほ》の音《ね》こそ四方《よも》には通へ
前《さき》追ふ魚が頭頭《かしらかしら》の
瑠璃の燭《ひ》を吹く風も有らねば
水晶に描《か》く是れや蒔絵か
大わだつみの底の御啓《いでまし》
時に金色《こんじき》上より曳きて
清《すゞ》しきひゞき最《いと》も※[#「王+倉」、9巻−318−下−7]々《さや/\》
星の七つぞ深く落ちくる
『美はしきもの悉《こと/″\》ねたむ
いまし竜神おそれ思はず
やまと美童《をぐな》の大皇子《おほみこ》奪《と》ると
相摸の海や走水《はしりみづ》の海
巨浪《おほなみ》ゆすりて詭計《たばか》りけりな
犠牲《にへ》に汝《な》が獲し弟橘《おとたちばな》は
光環《ひかりわ》かざす天《あめ》の幸姫《さちひめ》
清らの恋のいきみすだまよ
星の御座《みくら》へいざ疾く具せむ』
天《あめ》の使に御手《みて》とられまし
いま上げませるおん容顔《かんばせ》や
『相摸の小野《をぬ》に燃ゆる凶火《まがび》の
火中《ほなか》に立ちて問ひし君はも』
とぞ御涙《おんなみだ》この界《よ》に一つ
※[#「執/れっか」、9巻−319−上−8]く落ちぬと落ちぬと見しは
あなや刺櫛珠の刺櫛
櫛に尾を曳き星は昇りて
二
天ざかる鄙の上総に
藻をかづき勇魚《いさな》とる男《を》は
天がした今さわげるも
よそに聴く安き伏屋《ふせや》よ
めざむれば海は和《な》ぎたり
はしきやし美くし妻《づま》の
昨夜《よべ》磯に得たる刺櫛
床に敷き寝《い》ねてし夢ぞ
上※[#「くさかんむり/(月+曷)」、第3水準1−91−26]や星や竜神
めづらかに尊かりしな
あな愚《うつ》け此櫛こそは
昨《きそ》の朝七日七夜を
御方《おんかた》の御裳《みも》の端だに
得ばやとて相摸七浦
上総《かづさ》潟長柄《かたながら》の辺《へ》にも
寄らずやと尋ねわびたる
纒向《まきむく》の日代《ひしろ》の宮の
御舎人《みとねり》が詞《ことば》の御櫛《みくし》
さらば妻帆岡の方《かた》に
御軍《みいくさ》の跡を追はまし
[#改ページ]
明治三十八年
〔無題〕
あさはかにものいふ君よ、
うまびとは耳もて聴かず、
いとふかき心に聴きぬ。
世はみな君をあざむとも、
とまれ、千とせのいちにんに
うなづかれまくものはのたまへ。
恋ふるとて
恋ふるとて君にはよりぬ、
君はしも恋は知らずも、
恋をただ歌はむすべに
こころ燃え、すがた※[#「やまいだれ+瞿」、第3水準1−88−62]せつる。
いかが語らむ
いかが語らむ、おもふこと、
そはいと長きこゝろなれ、
いま相むかふひとときに
つくしがたなき心なれ。
わが世のかぎり思ふとも、
われさへ知るは難からし、
君はた君がいのちをも
かけて知らむと願はずや。
夢のまどひか、よろこびか、
狂ひごこちか、はた※[#「執/れっか」、9巻−322−上−1]か、
なべて詞に云ひがたし、
心ただ知れ、ふかき心に。
皷いだけば
皷いだけば、うらわかき
姉のこゑこそうかびくれ、
袿《うちぎ》かづけば、華やぎし
姉のおもこそにほひくれ、
桜がなかに簾《すだれ》して
宇治の河見るたかどのに、
姉とやどれる春の夜の
まばゆかりしを忘れめや、
もとより君は、ことばらに
うまれ給へば、十四まで、
父のなさけを身に知らず、
家に帰れる五つとせも
わが家ながら心おき、
さては穂に出ぬ初恋や
したに焦るる胸秘めて
おもはぬかたの人に添ひ、
泣く音をだにも憚れば
あえかの人はほほゑみて
うらはかなげにものいひぬ、
あゝさは夢か、短命の
二十八にてみまかりし
姉をしのべば、更にまた
そのすくせこそ泣かれぬれ。
しら玉の
しら玉の清らに透る
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