象の脊中に載せるのは
書物ですつて。
それは素敵だ、
僕がみんな読んで遣らう。

それから、象よ、
僕が書物を読んで仕舞つたら、
僕をお載せ、
さうして一散に駆け出して頂戴。

アウギユストは象に乗つて
何処へ行かう。
兄さんの大学へ行かう、
兄さんをおどかし[#「おどかし」に傍点]に。

いや、いけない、いけない、
兄さんはお医者になるのだから、
象に注射をして、
象を解剖するかも知れない。

母さん、何処へ行きませう、
宣しい、
母さんの云ふやうに、
広い広い沙漠へ行きませう。

象は沙漠が好きですとさ、
淋しい沙漠がね。
其処を通れば
太陽の国へ帰られる。
[#地付き](註「アウギユスト」は作者の幼い四男の名です。)


  元日の歌

元日のこころは若し、
清々し、美くし、優し。
人すべて一つになりて、
微笑みて諸手《もろで》を繋ぐ。

商人《あきびと》も我等を責めず、
貧しきも富を憎まず、
盗人も盗みを忘れ、
囚人《つみびと》も今日は休らふ。

溢るるは感謝のおもひ、
太陽も讃めて拝まん。
みしめ縄、門《かど》の松竹《まつたけ》、
見る物に春の色あり。

霞みたる都のかたに
午砲《どん》のおと微かに響き、
打仰ぐ青き空には
紙鳶《いかのぼり》近く歌へる。


  花を摘む

だれも、だれも、
春の日に
花を摘む。
むらさきの花、
紅い花。
庭で摘む、
野で摘む、
山で摘む。
むらさきの花
紅い花。

わたしも花を
摘むけれど、
淋しいわたしの
摘む花は、
うなだれた花、
泣いた花。
野にも、山にも
見つからぬ
欝金の花や
青い花。

春が来たとて
外へ出ず、
自分の書いた
絵の中と、
自分の作る
歌の中、
其処で摘む、
独りで摘む。
欝金の花や
青い花。


  啄木鳥

咲いた盛りの
桜のなかで、
啄木鳥《きつつき》こつ、こつ。

啄木鳥よ、
おまへは自然の
電信技師、
何処へ打つのか、
桜のなかで、
春のしらせを
こつ、こつと。


  願ひ

虹のやうな衣物《きもの》、
光る衣物、
着いたいな。

鳩のやうな白靴、
細靴《ほおそぐつ》、
穿きたいな。

天馬のやうな大馬、
青い馬、
乗りたいな。

みんなで着いたいな、
みんなで穿きたいな、
みんなで乗りたいな。

そして、みんなで行きたいな、
森《もおり》の奥の花園へ
みんなで踊りに行きたいな。


  お猿

お猿が出て来た、
負はれて出て来た。
お目をぱちくり[#「ぱちくり」に傍点]、
赤ん坊《ぼ》のお猿。

お猿、手に持つ、
小《ちさ》い紅《べに》の扇。
負はれた背《せな》から
ちよこなん[#「ちよこなん」に傍点]と降りた。

降りたお猿は
足もとふらふら[#「ふらふら」に傍点]、
狭い座敷を
斜めに歩るき、

舞ふかと思《おも》たら、
嬢さんの前で、
あれ、まあ、赤ン目《べ》をする、――
いやなお猿。

[#改ページ]

 大正十一年


  旭光照波

元日の夜明の
伊豆の海のほとり、
大《おほい》なる浴室の此処彼処、
うす闇の中に
人々の白き人魚の肌。

がらす戸の外には
たわやかなる紺青の海。
大空の色は翡翠の如く、
その空と海の合へる涯には
今起る、
黄金《きん》と焔の雲の序曲。

あはれ、神々しき
初日の登場、
燦爛たる火の鳥の舞。
大海《おほうみ》は酔ひて、
波ことごとく
恋する人の頬《ほ》となりぬ。


  家

崖に沿ひたる我が家は、
その崖下を大貨車の
過ぎゆく度に打震ふ。
四とせ五とせ住みながら、
慣れぬ心の悲しさに、
また地震かと驚きぬ。
船をば家とする人も
かかる恐怖《おびえ》を知らざらん、
我れは家をば船とする。


  〔無題〕

からりと晴れた
夏の日に、
季節ちがひの
くわりん[#「くわりん」に傍点]の果《み》の香りが
一すぢ、
わたしの心のなかに、
その果肉の甘さを以て
ただよつてゐる。

わたしの心は
踊り疲れた女のやうに
半眠つてゐる。
さうして、半嗅いでゐる、
そのくわりん[#「くわりん」に傍点]の果の香りを。

こんな時が
十分ほど続いて、
ふと現実に還つたあとで、
また、姑《しば》らく、
わたしの重い頭が
猶そのくわりん[#「くわりん」に傍点]の果の香りを
目の前にあるやうに探してゐる。

耳もとには
貪欲な蚊が一つ二つ唸つてゐる。
平凡な
暑くるしい夕ぐれ。
書きかけた原稿が
机にわたしを待つてゐる。
くわりん[#「くわりん」に傍点]の果の香りは
わたしの感情と一緒に
もうまた帰りさうにない。


  〔無題〕

地平線は
高く高く上《あが》つて、
はての無い燥《かわ》いた砂原を、
星の多い、
明るい月夜の空に
結びつけてゐる。

砂原のなかには、
一ところ、
廃墟のやうな、
一段盛りあがつた丘の上に、
方形な白い石の家が立ち、
遥かな前方には、
一すぢの廻りくねつた川が
茂つた木立ちの中を縫つてゐる。

夜見る木立は
草のやうに低く黒く集団《かたま》り、
中には、ほのかに、
二本、三本、
針金のやうな細い幹が
傾いて立つてゐる。

月の光の当たつてゐる部分は、
川も、木立も、
銀の鍍金《めつき》をして輝き、
陰影はすべて
鉄のやうに重い。

世界は静かだ。
青繻子の感触を持つ空には、
星が宝石と金銀の飾りを
派手にぎらつかせ、
硝子《がらす》製のやうな
淡い一輪の月を
病人の顔でも覗き込むやうに
とり囲んでゐる。


川の水が
遥かな割に、
ちよろ、ちよろと
淋しい音を立てゝ流れる。

わたしは今、目を閉ぢると、
こんな景色が見える。
さうして、
その石の家の窓には
わたしが一人
じつと坐つてゐるやうである。
また、その遥かな水音も
私自身が泣いてゐるやうである。

また、その白い月が
わたしであつて、
高いところから、
傷ついた心で、
その空虚《うつろ》な石の家を
見下ろしてゐるやうでもある。
[#改ページ]

 大正十二年


  電車の中

生暖かい三月半の或夜《あるよ》、
東京駅の一つの乗場《プラツトホーム》は
人の群で黒くなつてゐる。
停電であるらしい、
久しく電車が来ない。
乗客は刻一刻に殖えるばかり、
皆、家庭へ下宿へと
急ぐ人々だ。
誰れも自制してはゐるが、
心のなかでは呟いてゐる、
或はいらいらとしてゐる、
唸り出したい気分になつてゐる者もある。
じつとしては居られないで、
線路を覗く人、
有楽町の方を眺める人、
頻りに煙草《たばこ》を強く吹かす人、
人込みを縫つて右往左往する人もある。
誰れの心もじれつたさに
何《なん》となく一寸険悪になる。
其中に女の私もゐる。

凡《おほよ》そ廿分の後《のち》に、
やつと一台の電車が来た。
人々は押合ひながら
乗ることが出来た。
ああ救はれた、
電車は動き出した。

けれど、私の車の中には
鳥打帽をかぶつた、
汚れたビロオド服の大の男が
五人分の席を占めて、
ふんぞり反つて寝てゐる。
この満員の中で
その労働者は傍若無人の態《てい》である。
酔つてゐるのか、
恐らくさう[#「さう」に傍点]では無からう。
乗客は其男の前に密集しながら、
誰も喚び起さうとする者はない。
男達は皆其男と大差のない
プロレタリアでありながら、
仕へてゐる主人の真似をして
ブルジヨア風の服装《みなり》をしてゐるために、
其男に気兼し、
其男を怒らせることを恐れてゐる。
電車は走つて行く。
其男は呑気にふんぞり反つて寝てゐる。
乗客は窮屈な中に
忍耐の修行をして立ち、
わざと其男の方を見ない振をしてゐる。
その中に女の私もゐる。

一人で五人分の席を押領する……
人人がこんなに込合つて
息も出来ないほど困つてゐる中で……
あゝ一体、人間相互の生活は
かう云ふ風でよいものか知ら……
私は眉を顰めながら、
反動時代の醜さと怖ろしさを思ひ
我々プロレタリアの階級に
よい指導者の要ることを思つてみた。

併しまた、私は思つた、
なんだ、一人の、酔つぱらつた、
疲れた、行儀のない、
心の荒んだ、
汚れたビロオド服の労働者が
五人分の席に寝そべることなんかは。
昔も、今も、
少数の、狡猾な、遊惰な、
暴力と財力とを持つ人面獣が、
おのおの万人分の席を占めて、
どれ位われわれを飢させ、
病ませ、苦めてゐるか知れない。
電車の中の五人分の席は
吹けば飛ぶ塵ほどの事だ。

かう思つて更に見ると、
大勢の乗客は皆、
自分達と同じ弱者の仲間の
一人の兄弟の不作法を、
反抗的な不作法を、
その傍に立塞がつて
庇護《かば》つてゐるやうに見える。
その中に女の私もゐる。


  母と児

書き捨てた反古を捻つて、
幾つも幾つも作る、
紙《こ》よりの犬。
「母あさんは今日、
玩具《おもちや》を買ひに出る暇が無いの、
是で我慢をなさいな。」

ひよろ、ひよろとした小犬が
幾つも机の上に並ぶのを見て、
四歳の児の目は円くなる。
「母あさん、此犬を啼かして頂戴、
啼かなけりや、母あさんは
犬を作るのが下手ですよ。」


  郊外

路は花園に入り、
カンナの黄な花が
両側に立つてゐる。
藁屋根の、矮い、
煤けた一軒の百姓家が
私を迎へる。
その入口の前に
石で囲んだ古井戸。
一人の若い男が鍬を洗つてゐる。
私のパラソルを見て、
五六羽の鶏が
向日葵の蔭へ馳けて[#「馳けて」はママ]行く。
黄楊の木の生垣の向うで
田へ落ちる水が、
ちよろ、ちよろと鳴つてゐる。
唯だ、あれが見えねば好からう、
青いペンキ塗の
活動写真撮影場。


  〔無題〕

六月の太陽のもとで、
高架線から見る東京。
帆のやうに、幕のやうに、
舞台装置の背景布のやうに、
幾ところからもせり出した
染物屋の物干の
高い大きな布のかたまり。
なんとそれが
堂々と揺れて光ることだ。
日本銀行と三越《みつこし》の
全身不随症の建物が
その蔭で尻餅をついてゐる。


  〔無題〕

おどろけるは我なるに、
よろよろとする自転車、
その自転車乗り
わが前に
おまへは護謨《ごむ》製の操人形《あやつり》か。


  〔無題〕

竹を割りて
まろく幹をつつみ、
黒き細縄もて縛れり。
簡素ながら、
いと好くしたる
職人の街路樹の愛。


  〔無題〕

一人の爺《おやぢ》チヤルメラを吹き、
路ばたにがつしり[#「がつしり」に傍点]と据ゑぬ、
大臣、市長、頭取の
椅子よりも重く。
よいかな、爺、
我等の児になくて叶はぬ
飴屋の荷の台。


  〔無題〕

銀座通りの夜店の
人込のなかの敷石に、
盛上がりてねむる赤犬、
大胆のばけもの、
無神経のかたまり。
たれもよけて過ぎ行く。


  〔無題〕

白き綿の玉の如き
二羽のひよこが
ぴよぴよと鳴き、
その小さきくちばしを
母鶏の口につく。
母鶏はしどけなく
ななめにゐざりふし、
片足を出だして
ひよこにあまえぬ。
六月の雨上りの砂
陽炎《かげろふ》の立ちつゝ。


  〔無題〕

心にはなほ
肩あげあり、
前髪、額《ぬか》を掩へど、
人は見ぬにや、
知らぬにや、
心にはなほ
ゆめをおへども……


  〔無題〕

五歳《いつつ》になつた末の娘、
もう乳を欲しがらず、
抱かれようとも言はぬ。
辻褄の合はぬお伽噺を
根ほり葉ほり問ふ。
ママの膝なんかに用は無い、
ちやんと一人の席を持つてゐる。
[#改ページ]

 大正十三年


  賀頌

慶《よろこび》ありて、
東の空、
見よ、この日の、
かがやく、
いみじき光を。

めでたきかなや、
日嗣《ひつぎ》の皇子《みこ》、
世の星なる、
麗はし、
良き姫めとらす。

雄雄しくいます、
日嗣の皇子、
げに、人皆、
とこしへ、
たのまん御柱《みはしら》、

ならびて在《いま》す、
天つ少女《をとめ》、
そのみなさけ、
優しく、
みけしき気高し。

長五百秋《ながいほあき》に、
咲きつぐ花、
此の白菊、
いざ、いざ、
挿《かざ》して祝はん。


  祝意一章

すべて世のこと人のわざ、
善きが続くは難かるに、
これの冊子《さうし》のめでたさよ
百に重ぬる、更に
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