、尤《もっと》もらしく書かれた作も大好《だいすき》ですが、また殆《ほとん》ど観察ばかりで細かく深く実際の人間を写してある小説も拝見致したい。嘘らしい本当の小説は嫌いです。

 例えば婦人を浅ましい肉的一方に偏した者のように書く小説があります。偶《たま》にはそういう病的な婦人もありましょうが、婦人が都《すべ》てそうであるとは思われません。これは婦人でなくてはなかなか解りにくい事で、男の書かれた物のみでは信用し兼ねます。女の大部分が男の方に理解されぬとは思われませんが、こういう一部一部には女でなくては解らぬ点があるのでしょう。私どもから男の方を見るとやはり一部一部に解らぬ点があります。父親《てておや》が小児《こども》を母と一緒に愛します事などもちょっとその心持が解りません。婦人は懐胎した時から小児のために苦痛をします。胎内で小児が動くようになれば母は一種の神秘な感に打たれてその児に対する親《したし》みを覚えます。分娩の際には命を賭《か》けて自分の肉の一部を割《さ》くという感を切実に抱《いだ》きます。生れた児は海の底に下《お》りて採り得た珠《たま》と申しましょうか、とても比べ物のないほど可愛
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