果して産婦が経験するほどの命掛の大事に出会われるかどうか、それが私ども婦人の心では想像が附きません。切端詰った人生といえば「死刑前五分間」に優るものはないように思われますが、産婦は即ちしばしば「死刑前五分間」に面しております。いつも十字架に上《のぼ》って新しい人間の世界を創《はじ》めているのは女です。花袋《かたい》先生が近頃『女子文壇』で「女というものは男子から見《みる》と到底疑問である」と言われたのは御説《おせつ》の通《とおり》であろうと存じますが、しかし「男子と女子とは生殖の途《みち》を外《ほか》にして到底没交渉なのではないか」と言われたのは、私が前に「男が憎い」と申した理由を確めて男子の無情を示す事にはなりますが、「現実を客観する」事の出来る理性の明かな男の方が、人生における婦人の真の価値を闡明《せんめい》せられた事にはなりません。
婦人がなくて何処《どこ》に人生が成立ちましょう。どうして男子が存在されましょう。この明かなる事実を御覧になる以上、男女の交渉が如何に切実で全体的であるかは申すまでもない事と存じます。「生殖の途を外にして到底没交渉なのではないか」といわれるのは、生殖
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