だ十分女の暗黒面を『著聞集《ちょもんじゅう》』や『今昔物語《こんじゃくものがたり》』などのように露骨に書いてないのは、当時の手本である支那文学にそういう類の物がなかったせいでもありましょうが、一つは男に甚《ひど》く女の醜い所を見せまいという矯飾の心、後世の道徳家の言葉で申せば貞淑の心から書かなかったのでしょう。
紫式部は女を巧く書きましたにかかわらず、男はそれほどでもありません。光源氏《ひかるげんじ》などはどうも理想の人物で当時の歴史を読んだ者にはこういう男子の存在を信ぜられません。昔から女には男を書く事が困《むず》かしいのでしょう。近松《ちかまつ》の書きました女性の中でお種《たね》にお才《さい》、小春《こはる》とお三《さん》などは女が読んでも頷《うなず》かれますが、貞女とか忠義に凝った女などは人形のように思われます。
婦人の小説家がこの後成功しようと致すには、従来《これまで》のように男の方の小説を模倣する事を廃《や》め、世間に女らしく見せようとする矯飾の心を抛《なげう》って、自己の感情を練り、自己の観察を鋭くして、遠慮なく女の心持を真実に打出すのが最上の法かと存じます。また女
前へ
次へ
全15ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング