ております。で自分の美所も醜所も隠して、なるべく男の気に入るような事を自然男から教えられた通に行うという場合があろうと存じます。女の為《な》す事の過半は模倣であるというのは決して女の本性《ほんしょう》ではなく、久しい間自分を掩《おお》うようにした習慣が今では第二の性質になったのです。文学を書くにしても女は男の作物を手本にして男の気に入るような事や男の目に映じたような事を書こうとします。女は男のように自己を発揮して作を致す事を遠慮している所から女の見た真の世相や真の女が出て参りません。これを誤解して女には客観描写が出来ず、小説が書けぬもののように申す人があります。

 しかし徳川時代から明治の今日へ掛けてこそ女流の作家は出ませんが、平安朝以後の文学では男子が皆女の小説を手本にしてそれを模倣して及ばざる事を愧《は》じております。才分に富んだ女が真実に自己を発揮したならば、『源氏物語』のような巧《たくみ》な作がこの後とても出来ないとは限りません。紫式部《むらさきしきぶ》の書いた女性はどれも当時の写実であろうと思われ、女が見ても面白う御座います。女の醜い方面も相当に出ております。それにしてもま
前へ 次へ
全15ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング