分が男の方に解らぬはずはないでしょう。よし普通の男子には解らずとも、それが鋭い観察と感受力とで領解せられるのが文学者ではありますまいか。幾分女でなければ解らぬという点さえも文学者のみには解りそうなものだと私は存じます。罪人にならねば罪人の心持が解らぬようでは文学者も詰らぬ物になりましょう。沙漠の中の犬は二里先の人の臭いを嗅《か》ぎ知ると申します。
女の事は婦人の作家が書いたならば巧《うま》くその真相を写す事が出来るかと申すに、従来《これまで》の処ではまだ我国の女流作家の筆にそういう様子が見えません。男子を写すのは男の方が御上手《おじょうず》である事は申すまでもないので、女の書いた男は勿論巧く行きません。一葉《いちよう》さんの小説の男などがその例ですが、女の書く女も大抵やはり嘘の女、男の読者に気に入りそうな女になっているかと存じます。一葉さんのお書きになった女が男の方に大層気に入ったのは固《もと》より才筆のせいですけれども、また幾分芸術で拵《こしら》え上げた女が書いてあるからでしょう。
女は大昔から男に対する必要上幾分誰も矯飾《きょうしょく》の性を養うて表面《うわべ》を装う事になっ
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