しいものである。
 前述の方法で有妻者の買淫を或程度まで減退させることが出来れば、あとは概して独身男子が娼婦の需要者となる訳である。それらの独身男子の性欲が或程度以上に自制しがたいものであり、また人生に享楽の自由が或程度まで許さるべきものでありとすれば、主としてそれらの男子が娼婦を要求することはやむをえない。不徳であるが寛仮さるべき不徳である。但し人間が人間の肉体を買うという事実が、文明生活の理想に乖《そむ》いた不徳であり、公衆の間に多大の羞恥を感ずべき行為であることをあくまでもそれらの独身男子と娼婦とに自覚させることは、併せて衛生思想を自覚させると共に緊要である。このことは国民一般が相|戒《いまし》めねばならぬことは勿論であるが、政府にもまた或程度までこれに対する用意があって欲しい。
 ここに到って私は私娼の絶滅を計るよりも先ず公娼の絶滅を計るべきものであると考える。公娼は文字通りに国家の公認した娼婦である。よしや在来の張見世《はりみせ》とやらを撤廃せしめるにしても、その営業組織が余りに公開的であり、露骨であって、人肉を買う男子と、人肉を売る女子とに太切な人間の羞恥心と道徳的情操とを
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