です。而《しか》し私は恥しがりの子でしたから鹿喰《しゝくひ》と云ふ叔母の家ででも龍源ででも余り座敷へ上つて遊ぶやうなことはありませんでした。鹿喰では金魚池の傍《そば》まで庭口から行つて見るだけで、龍源の家ででもお雛様の時の外《ほか》は大抵遊ぶのは裏庭の蔵の蔭で、筵《むしろ》を敷いて小樽を幾つも並べたり、二つの樽に板を渡したりした上で玩具《おもちや》を弄《もてあそ》んで居たのでした。おさやんと私の小学校はもとより違つて居ました。おさやんは晴々とした顔で、色の白い目の大きい口元の美くしい人形のやうな少女でした。友染《いうぜん》の着物に白茶錦《しらちやにしき》の帯を矢《や》の字《じ》結《むす》びにして、まだ小い頃から蝶々髷《てふ/\まげ》やら桃割《もゝわれ》を結《ゆ》つて、銀の薄《すゝき》の簪《かんざし》などを挿して、住吉祭《すみよしまつり》の神輿《みこし》の行列を私の家へ見物に来て居る時などは人が皆表の道に立留つておさやんを眺めました。私は髪もお煙草盆《たばこぼん》で、縞《しま》の着物に水色の襟《えり》を重ねて黒繻子《くろじゆす》の帯をさせられて居ました。私と私の妹とおさやんの三人で堺《さ
前へ
次へ
全79ページ中69ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング