》の話をして下さいましたが、
「南さんのお家《うち》にだけはあるでせう。」
こんなことをお云ひになりました。私はこの時受くべき理由なき侮辱を私達は受けたと胸が鳴りました。ところが、
「私の家《うち》にそんなもの御座いません。先生。」
かう淡泊に南さんの答へたのを聞いて、私は瞬間の厭《いや》な心持が一掃されました。私はそれから一層南さんをなつかしく思ふやうになりました。その学校では、何か式をしたりするときには、先生から生徒へ、
「皆さんのお家《うち》の庭に花が咲いて居ましたら、それを少しづつ持つて来て下さい。」
こんな注文をなさいました。堺は古い昔から商業地になつて居まして、店や工場を重《おも》にして建築した家が多いのですから、庭はあつて常磐木《ときはぎ》の幾本かは大抵の大きい家にはあるとしても、底花の木や草花を養ふ日光が入りやうもありませんから、こんな時に生徒は花屋へ駆け附けるより外《ほか》の方法はなかつたのです。母に頼んで五|銭《せん》程の支出をして貰ひまして菊の花の二三本、春なら芍薬《しやくやく》の一つぐらゐを持つて行くやうな人ばかりでしたが、そんな時に南さんの家からは大きい
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