》つて居た時分に、南さんはおけしの中を取つて蝶々髷《てふ/\まげ》に結つて居ました。ですからもう差櫛《さしぐし》が出来たり、簪《かんざし》がさせたり、その時分から出来たのでした。南みち子と言ふ一人の生徒を羨まないのは、学校の中でも極めて小い組の人達だけだつたであらうと思ひます。どの先生も南さんを大事な生徒としておあつかひになるのでしたが、生駒《いこま》さんと云ふ校長先生にはそれが甚しかつたやうでした。私の小学校は千人近い生徒を収容して居て、大きい校舎を持つて居ましたが、その応接室は卓《ていぶる》を初め卓掛《ていぶるか》け、書物棚、花瓶までが南家の寄附になるものだと校長が生徒を集めて云つてお聞かせになつたこともありました。南さんは家の通称を孫太夫《まごだいふ》と云ふ大地主の一人娘だつたのです。南さんの家のある所は堺《さかひ》の街ではなく向村《むかふむら》と云ふのですが、それはいくらも遠い所ではなく、ほんの堀割《ほりわり》一つで街と別になつて居る村なのです。南さんの家は薄黄《うすき》の高い土塀の外を更に高い松の木立がぐるりと囲つて居ました。また庭の中には何蓋松《なんがいまつ》とか云ふ絵に描
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