《てらまち》へ出ます。大小路に次ぐ大きい町幅の所で、南へ七八町伸びて居ますが、寺ばかりと云つてよい程の街ですから静かです。向うの突当りが南宗寺《なんしゆうじ》です。千利久が建てたと云ふ茶室があります。私など少し大きくなりましてからは、折々お茶の会に行つたりしました。その隣は大安寺《だいあんじ》で私の祖母の墓があつたのでしたが、今では父も母も其処《そこ》へ葬られてしまひました。旧《もと》は納屋助左衛門《なやすけざゑもん》と云ふ人の家だつたのださうです。南宗寺の智禅庵《ちぜんあん》の丘の下を東から堀割が廻つて流れて居まして海へ出るやうになつて居ます。其《その》海辺は出島《でじま》と云ひます。もとより漁師ばかりが住んで居る所です。蘆が沢山生えて居る所です。蘆原《あしはら》とも云ひます。堀割の向う岸からはもう少しづつ松が生えて居まして、ずつと向うが浜寺《はまでら》の松原になるのです。木綿《もめん》を晒す石津川《いしづがは》の清い流もあります。私はこんな所に居て大都会を思ひ、山の渓間《たにま》のやうな所を思ひ、静かな湖と云ふやうなものに憧憬して大きくなつて行きました。


私の見た少女 南さん

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