》のことと思つて居たやうです。私もお菓子を持つて居るから狐が化すといけないと云つて、それを捨てる人、蜜柑は大丈夫だらうと云つて一旦捨てたのを拾ふ人、そんなことはをかしかつたのですが、榎茶屋《えのきちやや》の植木屋に親類のある人が水を汲んで来てくれたのを見まして、私は初めて悪いと思つて誤りました。天王様《てんわうさま》のお社《やしろ》は町から十町程離れてあるのです。堺の人の多くが春の花見をしに行く処です。山桜が社前に十二三本と、後《うしろ》の池を廻つて八重の桜が十本程もある位に過ぎないのですから、まあ大家《たいけ》の庭にも、ある程の春色とも云ふべきものなのですが、其《その》頃の和泉河内の野を一様の金色《こんじき》にして居る菜の花の香にひたらうとするのには好《い》い場所です。其処《そこ》を一町程北西へ隔つた所に方違《かたたがへ》神社があります。方《かた》ちがひさんと堺の人は皆云つてます。立春の日に鶴の羽を髪に挿した女達の参詣する所です。方違神社から真直《まつすぐ》に田圃の中を通つた道を町へ入つて来ますと、其処《そこ》は大小路《おほせうぢ》と云つて堺で一番広い町幅を持つた東西の道路になつて居
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