はれたでせう。しかも私のなどは帰り途《みち》の細い道で、大かたはころ/\と落ちてしまひました。今度の路は金右衛門さんの家の正面でなしに、座敷の左手の庭へ附いて居るのでした。其処《そこ》には鳥兜《とりかぶと》の紫の花が沢山咲いて居ました。
私の生ひ立ち 九 堺の市街
堺の市街
私はこの話のおしまひに私の生れた堺《さかひ》と云ふ街を書いて置きたく思ひます。堺は云ふまでもなく茅渟《ちぬ》の海に面した和泉国《いづみのくに》の一小都市です。堺の街|端《はづ》れは即ち和泉の国端れになつて居る程に、和泉の最北端にあるのです。摂津《せつつ》の国とは昔は地続きでしたが、今は新大和川《しんやまとがは》と云ふ運河が隔てになつて居ます。大和橋《やまとばし》はそれにかかつた唯一の橋です。水に流されて仮橋《かりばし》になつて居たことが二度程ありました。仮橋は低くて水と擦《す》れ擦《す》れでしたから、子供心にはその方を渡るのが面白かつたのでした。河原の蘆《あし》や月見草は橋よりもずつと高く伸びて両側から小い私の髪にさはる程でした。私には年に一度その河原でお弁当を食べる日がありました。それは蚊帳《かや》の洗
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