、人間の子供の私達にさう容易《たやす》く解る筈《はず》はないが、何と云つてもそんな簡単なものでないと思つたのです。
「さうです。それに違ひありません。」
と先生はお云ひになりました。私はそれにも関らず一羽のひよこの真実《ほんたう》の心持が解りたいとばかり幾年か思ひ続けました。浅野はんの名はそのために今も頭に残つて居るのです。
私は満|三歳《みつつ》になつて直《す》ぐ学校へ遣《や》られました。ですから遊びの方に心を引かれることが多くて、字を習ふ方のことを情けなく思つて居ました。私と同年《おないどし》の竹中《たけなか》はんが私の家《うち》へ遊びに来る約束をしてくれました。その日になりますと私は嬉しさに学校へ行く気になれませんでした。母がどんなに勧めても、私に附いて居る小い女中が促しても、私は今日は家《うち》で竹中はんと遊ぶのだとばかり云つて、学校へ出ようとはしませんでした。あなたがどんなに遊ばうと思つても、竹中はんは学校へおいでになるから、午後《ひるから》でなければ遊ばれませんよ、と女中が云ひましても、私はじつとして待つて居れば、楽しい時間の来ることが早いと云ふやうに信じて居るものです
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