たと人の走り歩く音が高くして居るのです。私は何時《いつ》の間《ま》にか座つて居ました。蚊帳も一隅が外《はづ》されて三角になつて居ました。灯の明《あか》く点《とも》つた隣の茶の間で、
「袢纏《はんてん》を出しとくなはれ、早う頼みます。」
と云つて居るのは番頭でした。柳行李《やなぎかうり》から云はれた物を出して居るのは妹の乳母《うば》でした。私はまた何時《いつ》の間《ま》にか蚊帳を出て、定七《さだしち》の火事装束をする傍《そば》に立つて居ました。定七が弓張提灯《ゆみはりちやうちん》を取つて茶の間を出ようとしますと、帯のやうなものを手に持つて見せながら乳母は、
「まありやん、まありやん。」
と云ひました。私は子供心にも乳母は恐ろしさに舌が廻らなくなつて居るのであらう、待つてくれと云ふつもりであらうと思ひました。母が傍へ来まして、
「母様《かあさん》は姉様《ねえさん》のお家《うち》が危いから行つて来ます。お父様《とうさん》ももうおいでになつたのです。家《うち》は大丈夫だから安心しておいで。」
と云ひました。そのうち私は店へ歩いて行きました。土間の戸が二方とも開けられてあつて、外の通りをお祭の晩
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