火事

 ある夏の晩に、私は兄弟や従兄《いとこ》等と一所《いつしよ》に、大屋根の上の火の見台で涼んで居ました。
「お月様とお星様が近くにある晩には火事がある。」
 十歳《とを》ばかりの私よりは余程大きい誰かの口から、こんなことが云はれました。そのうち一人降り二人降りして、火の見台には私と弟の二人だけが残されました。
「籌《ちう》さん、あのお星様はお月様に近いのね。そら、あるでせう一つ。」
「さうやなあ、火事があるやら知れまへんなあ、面白い。」
「私は恐い。火事だつたら。」
「弱虫やなあ。」
 弟はかう云つてずんずん下へ降りて行きました。私はその後《あと》で唯《たゞ》一人広い広い空を眺めて、小さい一つの星と月の間を、もう少し離す工夫はないか、焼ける家の子が可哀想で、そして此処《ここ》まで焼けて来るかも知れないのであるからと心配をして居ました。
 その晩の夜中のことでした。私の蚊帳《かや》の外で、
「火事や。」
「火事、火事。」
と云ふ声が起りました。耳を澄まして見ますと、家の外をほい/\と云ふやうな駆声《かけごゑ》で走る人が数知れずあるのです。家の中にはまた彼方此方《あちこち》をばたば
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