》の友の家を訪ねる私等の得意さは、天へも上《のぼ》つた程なのです。正月から待ちに待つた日が来たのだからと、心の中では云ふものがありました。私等は時々家を覗きに来ます。それは余所《よそ》からのお客が、もう幾人殖えたかと見るのが楽みなのです。四五時頃には、もう大鳥さんの太鼓の音が、どん、どおん、と南の方に聞え出します。祭列は四町程で尽きます。続いて神輿も通ります。全堺の町が湧き立つやうな騒ぎになるのは、この時から後《のち》なのです。いよいよ大鳥さんの渡御が済んで、人々は真実《ほんたう》のお祓の宵宮の心もちにこの時からなるからです。誰も眠る者などはないと云ふのはこの晩のことでした。家の中には幾十となく燭台が点《とも》されますが、外を通る人々の手に手にした灯《ひ》の明りの方が、更に幾倍した明さを見せて居ました。魚の夜市が初まると云ふので、誰も皆浜辺の方を向いて歩いて行くのです。私の家《うち》のお客様は、皆その夜市を見に行きます。私等は翌朝の住吉|詣《まう》での用意をさせられます。汽車があつても祭の各町を眺めて通るのが面白いために、住吉までを車で行くのが多いのでした。夜明の社《やしろ》の御灯《み
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