やうもない美しいものでした。三つの燈籠はまたその夜涼台の上に吊されました。老婢が気を附けて、萎《しな》びぬやうにと井戸端の水桶の中に、私の燈籠は前夜もその前夜も入れられてあつたのですが、それにも関らず青白かつた彫跡《ほりあと》は錆色《さびいろ》を帯び、青い地は黒い色になつて居るのです。形も小くなり丸かつたものが細長いものに変つて居るのです。私は生れて初めて老《おい》と云ふことと死と云ふことをその夜の涼台で考へました。早く生れたものは早く老い、早く死ぬとそれ程のことですがどんなに悲しく遣瀬《やるせ》ないことに思はれたでせう。私はそれを足つぎをして下《おろ》さうとはせずにそのまゝ眺めて居ました。
次の年には父は誰のとも決めずに流《ながれ》を鮎の上る燈籠を西瓜で彫つてくれました。私はその時にはもう生命《いのち》の悲みなどは忘れて、早く自分も何かの絵を西瓜に彫つて、燈籠を作るやうになりたいとばかり思つてました。
私の生ひ立ち 四 夏祭
夏祭
お正月の済んでしまつた頃から、私等はもうお祓《はらひ》が幾月と幾日《いくか》すれば来ると云ふことを、数へるのを忘れませんでした。お祓の帯、お祓
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