は身慄《みぶる》ひがしました。またその横に、母親に招かれて笑ひながら走り寄つて来る子供の絵もありました。私はそれを家中で大騒ぎをされて可愛がられて居る弟のやうな子だと思つて居ました。口の傍《そば》に厭な線を充満《いつぱい》寄せて泣いて居る子の方は、人から見て自分になぞらへられるのではあるまいかと思ふやうなひがみを私は意識せずに持つて居たかも知れません。和蘭陀《オランダ》の風車《かざぐるま》小屋の沢山並んだ野を描いた褐色の勝つた風景画は誰が悪戯《いたづら》をしたのか下の四分通りが引きちぎられてました。私の父はまた色硝子《いろがらす》をいろいろ交ぜた障子を造つて縁《えん》へはめました。廊下にもはめました。欄間《らんま》もそれにしました。一家の者が開閉《あけたて》の重い不便さを訴へるので、父は仕方なしにそれを浜の道具蔵へしまはせてしまひました。けれど欄間だけは長く其儘《そのまゝ》でした。私は欧州へ見物に行きました時、古い大寺のかずかずを巡つたのでしたが、その色硝子で飾られた窓の明りを仰ぎます度に、私は父のことや幼い日のことが思はれるのでした。
西瓜燈籠
これはもう大分《だいぶ》大きくな
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