した。私が悪いことと知りながらした罪に就《つ》いて、また可《か》なり大きい後悔をしないでは居られませんでした。お歌ちやんに詫《あやま》りますと、
「そんなこと云ひなはらんでもええ。」
と云つて私の肩を撫でてくれました。ある日姉が、
「お歌ちやんが死にやはつた。」
と私に話しました。悲しく思つたに違ひありませんが、その時の心持などはよく覚えません。お歌ちやんは、十歳《とを》だつたと云ふことです。
「薄倖《ふしあはせ》なお歌ちやん。」
「賢い子やつた。」
 誰も皆かう云つてました。お歌ちやんが居なくなつてから、私はどうしてもお照さんや茂江さんの仲間へ入つて遊んで貰はなければなりませんでした。その中で意地悪でない人は、私と同年《おないどし》のより江さんだけでした。


私の生ひ立ち 三 お師匠さん/屏風と障子/西瓜燈籠

お師匠さん

 藤間《ふぢま》のお師匠さんは私の家の貸家《かしや》に居ました。その隣には私の母の両親が隠居をして居ました。私はそれから間もなく死別れたその母方の祖父の顔は、唯《たゞ》白髪《しらが》を長くして後撫《うしろな》でにした頭つきと、中風《ちゆうぶ》になつて居たために
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