ていらへ。」
 かう呼ぶのです。寺子屋へ行く子供等の習慣《ならはし》が、まだ私の小い頃にまで残つて居たのです。私はお歌ちやんの家《うち》へもよく遊びに行きました。苔で青くなつた石の手水鉢《てうづばち》に家形《やかた》の置いてあるのがある庭も、奥の室《ま》も、静かな静かなものでしたが、店の方には若いお針子《はりこ》が大勢来て居ましたから、絶えず笑ひ声がするのでした。恥しがりの私も、遠慮がちなお歌ちやんも、その仕事場へは一度も行つたことがありませんでした。私の小い姉も、其処《そこ》へ稽古に来て居ました。仏師屋のお春さんや藍玉屋の茂江さんは、よくお歌ちやんをいぢめました。私はある時どうしたのかいぢめる連中に交つて居ました。私の家《うち》の軒下にお春さんが参謀長のやうに立つて居て、泉勇のお歌ちやんの居る窓の下へ、いろいろとお歌ちやんの悪口を云つて遣《や》らせるのです。私は通りを横ぎつて向ふへ走つて行き、歌のやうなことを云ふのが唯《たゞ》面白かつたのです。このことが姉から母に聞えまして、母は私をひどく叱りました。
「お歌ちやんのやうないい子に、意地わるをするやうな子は、子やない。」
とも云はれま
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