だけれどとわたしの心では思つてるんです。
『わたしはお金をそんなに持つて居らなかつたんで御座います。』
 どうしてもわたしの口は云はうとする言葉でない言葉をばかり出しました。
『どうしたらいいかと存じましてね。』
 わたしは口がこはばる病になつたやうな不自由さを感じました。露西亜人や独逸人の中に居てもこんな苦しい胸を掻きむしりたいやうな気はしませんでしたよ。
 どうやらかうやら私は昨日の心配と、それを助けてくれた英国人の話とを良人にしました。
『ふうむ、ふうむ。』
 とばかり良人は云つてましたが、わたしはそれでもう安心をしました。
 わたしの姿が珍しいもの怪しいものと思はれて居るだらうと時々は感じるのですが、さうでない時は日本の何処かの端へ着いたやうな気で私は居るんでせうね。
 わたし達は手荷物を受取る処へ行きました。自身さへ無事に行ければあんなものなどはどうでもいいのだと思つて居た二つの鞄が直ぐ目の前へ運ばれて来ましたよ。綱で縛られてねえ。わたしはわたし、鞄は鞄で別れ別れに心細い旅をして来たと云ふやうな悲しい気がしましたわ。大きな鞄を開けましてね、三つ四つの懸子の一つ一つに美くしい衣
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