めなければなりません。我國では太抵の場合に、若い者は老人に自由を奪はれ、女は男に威壓され、嫁は良人と舅姑とに所有されて居るのですが、若し其樣な、人を人と思はずに物として所有する觀念から出た奴隸道徳が破壞されて、個人の自由と個人同志の相愛とを基調とした生活状態に世間が改まつて居たなら、中根氏の姑も嫁も聰明恭謙な女として、何れが威壓することも、何れが盲從することもなく、また兩者の衝突もなくて美くしく健《すこ》やかにして協立することが出來たであらうと想はれます。今後の人間はさう云ふ時代を早く引寄せるために男も女も幾多の苦《にが》い爭鬪を經驗しなくてはなりません。
 在來の道徳習慣に何の省慮もなく無條件で從つて行く人は精神的頽廢に墮落しながら氣が附かないで居る人です。在來の道徳習慣を以て嫁に迫る姑は鋭利な刄物にも優る怖ろしい武器を以て嫁の個性を虐殺しようとする人です。日本人が青年の頽廢だけを歎いて、あのやうに多數な老人の頽廢を咎めないのはそれこそ確かに片手落です。老人自身に匡正する聰明を缺いて居るのですから、私は一人前になつた子供が其老父母を慇懃に出來るだけ教育すべきだと思ひます。
 我國では
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