それを以て若い女を自分の如く奴隸的に墮落させようとして居ります。私は在來の道徳習慣が其中に男子の爲のみでなく、男女を通じて共に人間としての生活を維持し發展させる上に役立つて居る或物を含んで居ることを認めますけれども、それが概して人間が人間を支配しよう、男が女を支配しようとする精神から出て居るのを見て、私達は出來るだけ人間の平等、男女の對等を實現する生活を營みたいと思ひ、最早私達が幸福と發展とに不用であり、有害である道徳習慣から解放されようと望んで居ります。然るに老婦人は概してまだ子は親の所有物、嫁は良人及び舅姑の所有物と云ふ舊式な觀念に囚はれて、それを道徳として若い女に臨みつつあるのです。老婦人達が無智なために人間としての自己の自由を男子に蹂躙されて悲痛を感じないのは致方がないとしても、自己の精神的頽廢を若い女にも強要しようとするに到つては、其處に兩者の間に壓制と反抗との衝突を見るのは避け難い悲慘な事實です。殊に夫婦の愛が成立つたからと云つて直ぐに舅姑と嫁の間に親子の愛が生じるものとは限らないのですから、舅姑は確かな理性を以て自分達の感情を精練して舊式な道徳的觀念に曇らされないやうに力
前へ
次へ
全9ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 晶子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング