後に自己に返った若い妻が教育ある婦人だけにその悔恨が心を噛《か》んだことも異常であったに違いない。法廷において被告が誠心誠意|懺悔《ざんげ》の涙に咽《むせ》んだというのは同情されることである。
 その動機に情状の酌量すべき所があっても、その事実が法文に触れているのであるから犯罪人として処刑されるのはやむをえない。殊に在来の道徳や習慣をその不用な部分までも背景にしている日本の法律では、嫁が姑を刺したという表面の大それた事実を重く見るので情状酌量の余地がない。それでこの犯罪は八年の懲役に処せられ、執行猶予の沙汰もなかったが、宣告の際に物優しい判事は獄則を恪守《かくしゅ》して刑期の半《なかば》を過したなら仮出獄の恩典に浴することも出来るということを告げたということである。私はこの刑罰の裁量が妥当であるかどうかを知らない。とにかくこうして某工学士一家の傷《いた》ましい悲劇は一段落が附こうとしているのである。しかし私はこの事件を切掛《きっかけ》にして更にいろいろの感想が胸に浮ぶ。

 同じ悲劇の種は、姑と嫁のある日本の家庭の大多数に伏在している。姑が嫁を愛するというような事は昔の清少納言《せいし
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