それが突飛な問題でもお転婆な行為でもなかったのである。これは今日の女子教育の程度から見て工学士の妻として恥《はずか》しからぬ婦人であることは誰も同意するであろう。普通ならば学士の妻となったことに甘んじて尋常な一生を送る若い婦人が多い世の中に、更に物議の多い女優となって新しい芸術に何ほどかの貢献をしようとする熱心と勇気とを思うと、むしろ多数の学士の妻の中にあって得やすからぬ健気《けなげ》な婦人の一人であるといってもよい。
若い夫婦は良人の任地である横浜に住み、老父母たちは神戸に住んでいたが、姑はおりおり夫婦の家に来て滞在しながら良人の留守に嫁に小言をいい、良人に対しても嫁について讒訴《ざんそ》とも見るべきことを言うのであった。それについて若い妻は日本の一般の女性が姑に捧《ささ》げる限りのあらゆる忍従の態度を取って、少しもそれに反抗する言動を示さなかった。新旧思想の過渡期に生れたあわれな若い妻は、姑の無情非理を知りつつ出来るだけ忍従の態度を取る外に賢い孝養の法がなかった。
ここに私の遺憾に思うのは――むしろ攻撃したく思うのは――その良人たる工学士某氏の思慮の足りないことである。なぜに
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