一人として感謝する者である。
 新聞紙の伝うる所に由《よ》れば、姑という人は明治以前の思想をそのままに墨守して移ることを知らず、現代の教育を受けた若い嫁の心理に大した同感もなく、かえって断えず反感を持って対し、二言目には家風を楯《たて》に取り、自分の旧式な思想を無上の権威として嫁の個性を蹂躙《じゅうりん》し圧倒することを何とも思わず、聞き苦しい干渉と邪推と、悪罵《あくば》と、あてこすり[#「あてこすり」に傍点]とを以て嫁を苛《いじ》めて悔いぬような、世にいう姑根性をかなり多く備えた婦人であるらしい。私は幼い時から私の郷里などにそういう無智な姑の少くない事を見聞しており、また一般に温厚な嫁ほどそういう姑の下にあって人の知らない多大の苦痛を忍んでいることを知っているので、姑に対する新聞紙の報道を誇張だとは思わない。
 また妻という人は新聞紙に由れば普通の教育もあり、常識もあり、良人《おっと》との仲も睦《むつ》まじく、所帯持も好《よ》く、快濶《かいかつ》ではないが優しい中に熱烈な所のある婦人で、芸術上の希望を満たしたいために女優として立つに至ったのも良人との相談の上であって、夫婦の間に決して
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