かあったのではないかなどという臆測《おくそく》をした。玉鬘のことであろうなどとはだれも考えられなかったのである。
内大臣は源氏の話を聞いた瞬間から娘が見たくてならなかった。逢《あ》わないでいることは堪えられないようにも思うのであるが、今すぐに親らしくふるまうのはいかがなものである、自家へ引き取るほどの熱情を最初に持った源氏の心理を想像すれば、自分へ渡し放しにはしないであろう、りっぱな夫人たちへの遠慮で、新しく夫人に加えることはしないが、さすがにそのままで情人としておくことは、実子として家に入れた最初の態度を裏切ることになる世間体をはばかって、自分へ親の権利を譲ったのであろうと思うと、少し遺憾な気も内大臣はするのであったが、自分の娘を源氏の妻に進めることは不名誉なことであるはずもない、宮仕えをさせると源氏が言い出すことになれば女御《にょご》とその母などは不快に思うであろうが、ともかくも源氏の定めることに随《したが》うよりほかはないと、こんなことをいろいろと大臣は思った。これは二月の初めのことである。十六日からは彼岸になって、その日は吉日でもあったから、この近くにこれ以上の日がないとも暦《こよみ》の博士《はかせ》からの報告もあって、玉鬘《たまかずら》の裳着《もぎ》の日を源氏はそれに決めて、玉鬘へは大臣に知らせた話もして、その式についての心得も教えた。源氏のあたたかい親切は、親であってもこれほどの愛は持ってくれないであろうと玉鬘にはうれしく思われたが、しかも実父に逢う日の来たことを何物にも代えられないように喜んだ。その後に源氏は中将へもほんとうのことを話して聞かせた。不思議なことであると思ったが、中将にはもっともだと合点されることもあった。失恋した雲井《くもい》の雁《かり》よりも美しいように思われた玉鬘の顔を、なお驚きに呆然《ぼうぜん》とした気持ちの中にも考えて、気がつかなかったと思わぬ損失を受けたような心持ちにもなった。しかしこれはふまじめな考えである、恋人の姉妹ではないかと反省した中将はまれな正直な人と言うべきである。
十六日の朝に三条の宮からそっと使いが来て、裳着の姫君への贈り物の櫛《くし》の箱などを、にわかなことではあったがきれいにできたのを下された。
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手紙を私がおあげするのも不吉にお思いにならぬかと思い、遠慮をしたほうがよろしいとは考えるのですが、大人《おとな》におなりになる初めのお祝いを言わせてもらうことだけは許していただけるかと思ったのです。あなたのお身の上の複雑な事情も私は聞いていますことを言ってよろしいでしょうか、許していただければいいと思います。
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ふたかたに言ひもてゆけば玉櫛笥《たまくしげ》わがみはなれぬかけごなりけり
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と老人の慄《ふる》えた字でお書きになったのを、ちょうど源氏も玉鬘のほうにいて、いろいろな式のことの指図《さしず》をしていた時であったから拝見した。
「昔風なお手紙だけれど、お気の毒ですよ。このお字ね。昔は上手《じょうず》な方だったのだけれど、こんなことまでもおいおい悪くなってくるものらしい。おかしいほど慄えている」
と言って、何度も源氏は読み返しながら、
「よくもこんなに玉櫛笥にとらわれた歌が詠《よ》めたものだ。三十一文字の中にほかのことは少ししかありませんからね」
そっと源氏は笑っていた。中宮《ちゅうぐう》から白い裳《も》、唐衣《からぎぬ》、小袖《こそで》、髪上《くしあ》げの具などを美しくそろえて、そのほか、こうした場合の贈り物に必ず添うことになっている香の壺《つぼ》には支那《しな》の薫香《くんこう》のすぐれたのを入れてお持たせになった。六条院の諸夫人も皆それぞれの好みで姫君の衣裳《いしょう》に女房用の櫛や扇までも多く添えて贈った。劣り勝《まさ》りもない品々であった。聡明《そうめい》な人たちが他と競争するつもりで作りととのえた物であるから、皆目と心を楽しませる物ばかりであった。東の院の人たちも裳着《もぎ》の式のあることを聞いていたが、贈り物を差し出てすることを遠慮していた中で、末摘花《すえつむはな》夫人は、形式的に何でもしないではいられぬ昔風な性質から、これをよそのことにしては置かれないと正式に贈り物をこしらえた。愚かしい親切である。青鈍《あおにび》色の細長、落栗《おちぐり》色とか何とかいって昔の女が珍重した色合いの袴《はかま》一具、紫が白けて見える霰地《あられじ》の小袿《こうちぎ》、これをよい衣裳箱に入れて、たいそうな包み方もして玉鬘《たまかずら》へ贈って来た。手紙には、
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ご存じになるはずもない私ですから、お恥ずかしいのですが、こうしたおめでたいことは傍観していられない気になりました。つまらない物ですが女房にでもお与えください。
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とおおように書かれてあった。源氏はそれの来ているのを見て気まずく思って例のよけいなことをする人だと顔が赤くなった。
「これは前代の遺物のような人ですよ。こんなみじめな人は引き込んだままにしているほうがいいのに、おりおりこうして恥をかきに来られるのだ」
と言って、また、
「しかし返事はしておあげなさい。侮辱されたと思うでしょう。親王さんが御秘蔵になすったお嬢さんだと思うと、軽蔑《けいべつ》してしまうことのできない、哀れな気のする人ですよ」
とも言うのであった。小袿の袖の所にいつも変わらぬ末摘花の歌が置いてあった。
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わが身こそうらみられけれ唐《から》ごろも君が袂《たもと》に馴《な》れずと思へば
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字は昔もまずい人であったが、小さく縮かんだものになって、紙へ強く押しつけるように書かれてあるのであった。源氏は不快ではあったが、また滑稽《こっけい》にも思われて破顔していた。
「どんな恰好《かっこう》をしてこの歌を詠《よ》んだろう、昔の気力だけもなくなっているのだから、大騒ぎだったろう」
とおかしがっていた。
「この返事は忙しくても私がする」
と源氏は言って、
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不思議な、常人の思い寄らないようなことはやはりなさらないでもいいことだったのですよ。
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と反感を見せて書いた。また、
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からごろもまた唐衣からごろも返す返すも唐衣なる
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と書いて、まじめ顔で、
「あの人が好きな言葉なのですから、こう作ったのです」
こんなことを言って玉鬘に見せた。姫君は派手《はで》に笑いながらも、
「お気の毒でございます。嘲弄《ちょうろう》をなさるようになるではございませんか」
と困ったように言っていた。こんな戯れも源氏はするのである。
内大臣は重々しくふるまうのが好きで、裳着の腰結《こしゆ》い役を引き受けたにしても、定刻より早く出掛けるようなことをしないはずの人であるが、玉鬘のことを聞いた時から、一刻も早く逢いたいという父の愛が動いてとまらぬ気持ちから、今日は早く出て来た。行き届いた上にも行き届かせての祝い日の設けが六条院にできていた。よくよくの好意がなければこれほどまでにできるものではないと内大臣はありがたくも思いながらまた風変わりなことに出あっている気もした。夜の十時に式場へ案内されたのである。形式どおりの事のほかに、特にこの座敷における内大臣の席に華美な設けがされてあって、数々の肴《さかな》の台が出た。燈火を普通の裳着《もぎ》の式場などよりもいささか明るくしてあって、父がめぐり合って見る子の顔のわかる程度にさせてあるのであった。よく見たいと大臣は思いながらも式場でのことで、単に裳《も》の紐《ひも》を結んでやる以上のこともできないが、万感が胸に迫るふうであった。源氏が、
「今日はまだ歴史を外部に知らせないことでございますから、普通の作法におとめください」
と注意した。
「実際何とも申し上げようがありません」
杯の進められた時に、また内大臣は、
「無限の感謝を受けていただかなければなりません。しかしながらまた今日までお知らせくださいませんでした恨めしさがそれに添うのもやむをえないこととお許しください」
と言った。
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うらめしや沖つ玉藻《たまも》をかづくまで磯《いそ》隠れける海人《あま》の心よ
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こう言う大臣に悲しいふうがあった。玉鬘《たまかずら》は父のこの歌に答えることが、式場のことであったし、晴れがましくてできないのを見て、源氏は、
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「寄辺《よるべ》なみかかる渚《なぎさ》にうち寄せて海人も尋ねぬ藻屑《もくづ》とぞ見し
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御無理なお恨みです」
代わってこう言った。
「もっともです」
と内大臣は苦笑するほかはなかった。こうして裳着の式は終わったのである。親王がた以下の来賓も多かったから、求婚者たちも多く混じっているわけで、大臣が饗応《きょうおう》の席へ急に帰って来ないのはどういうわけかと疑問も起こしていた。内大臣の子息の頭《とうの》中将と弁《べん》の少将だけはもう真相を聞いていた。知らずに恋をしたことを思って、恥じもしたし、また精神的恋愛にとどまったことは幸《しあわ》せであったとも思った。
弁は、
「求婚者になろうとして、もう一歩を踏み出さなかったのだから自分はよかった」
と兄にささやいた。
「太政大臣はこんな趣味がおありになるのだろうか。中宮と同じようにお扱いになる気だろうか」
とまた一人が言ったりしていることも源氏には想像されなくもなかったが、内大臣に、
「当分はこのことを慎重にしていたいと思います。世間の批難などの集まってこないようにしたいと思うのです。普通の人なら何でもないことでしょうが、あなたのほうでも私のほうでもいろいろに言い騒がれることは迷惑することですから、いつとなく事実として人が信じるようになるのがいいでしょう」
と言っていた。
「あなたの御意志に従います。こんなにまで御実子のように愛してくださいましたことも前生に深い因縁のあることだろうと思います」
腰結い役への贈り物、引き出物、纏頭《てんとう》に差等をつけて配られる品々にはきまった式があることではあるが、それ以上に派手《はで》な物を源氏は出した。大宮の御病気が一時支障になっていた式でもあったから、はなやかな音楽の遊びを行なうことはなかったのである。
兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は、もう成年式も済んだ以上、何も結婚を延ばす理由はないとお言いになって、熱心に源氏の同意をお求めになるのであったが、
「陛下から宮仕えにお召しになったのを、一度御辞退申し上げたあとで、また仰せがありますから、ともかくも尚侍《ないしのかみ》を勤めさせることにしまして、その上でまた結婚のことを考えたいと思います」
と源氏は挨拶《あいさつ》をしていた。父の大臣はほのかに見た玉鬘《たまかずら》の顔を、なおもっとはっきり見ることができないであろうか、容貌《ようぼう》の悪い娘であれば、あれほど大騒ぎをして源氏は大事がってはくれまいなどと思って、まだ見なかった日よりもいっそう恋しがっていた。今になってはじめて夢占いの言葉が事実に合ったことも思われたのである。最愛の娘である女御《にょご》にだけ大臣は玉鬘のことをくわしく話したのであった。
世間でしばらくこのことを風評させまいと両家の人々は注意していたのであるが、口さがないのは世間で、いつとなく評判にしてしまったのを、例の蓮葉《はすっぱ》な大臣の娘が聞いて、女御の居間に頭中将や少将などの来ている時に出て来て言った。
「殿様はまたお嬢様を発見なすったのですってね。しあわせね、両方のお家《うち》で、大事がられるなんて。そして何ですってね。その人もいいお母様から生まれたのではないのですってね」
と露骨なことを言うのを、女御は片腹痛く思って何とも言わない。中将が、
「大事がられる訳があ
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