るから大事がられるのでしょう。いったいあなたはだれから聞いてそんなことを不謹慎に言うのですか。おしゃべりな女房が聞いてしまうじゃありませんか」
 と言った。
「あなたは黙っていらっしゃい。私は皆知っています。その人は尚侍《ないしのかみ》になるのです。私が女御さんの所へ来ているのは、そんなふうに引き立てていただけるかと思ってですよ。普通の女房だってしやしない用事までもして、私は働いています。女御さんは薄情です」
 と令嬢は恨むのである。
「尚侍が欠員になれば僕たちがそれになりたいと思っているのに。ひどいね、この人がなりたがるなんて」
 と兄たちがからかって言うと、腹をたてて、
「りっぱな兄弟がたの中へ、つまらない妹などははいって来るものじゃない。中将さんは薄情です。よけいなことをして私を家《うち》へつれておいでになって、そして軽蔑《けいべつ》ばかりなさるのだもの、平凡な人間ではごいっしょに混じっていられないお家だわ。たいへんなたいへんなりっぱな皆さんだから」
 次第にあとへ身体《からだ》を引いて、こちらをにらんでいるのが、子供らしくはあるが、意地悪そうに目じりがつり上がっているのである。中将はこんなことを見ても自身の失敗が恥ずかしくてまじめに黙っていた。弁の少将が、
「そんなふうにあなたは論理を立てることができる人なのですから、女御さんも尊重なさるでしょうよ。心を静めてじっと念じていれば、岩だって沫雪《あわゆき》のようにすることもできるのですから、あなたの志望だって実現できることもありますよ」
 と微笑しながら言っていた。中将は、
「腹をたててあなたが天《あま》の岩戸の中へはいってしまえばそれが最もいいのですよ」
 と言って立って行った。令嬢はほろほろと涙をこぼしながら泣いていた。
「あの方たちはあんなに薄情なことをお言いになるのですが、あなただけは私を愛してくださいますから、私はよく御用をしてあげます」
 と言って、小まめに下《しも》の童女さえしかねるような用にも走り歩いて、一所懸命に勤めては、
「尚侍に私を推薦してください」
 と令嬢は女御を責めるのであった。どんな気持ちでそればかりを望むのであろうと女御はあきれて何とも言うことができない。この話を内大臣が聞いて、おもしろそうに笑いながら、女御の所へ来ていた時に、
「どこにいるかね、近江《おうみ》の君、ちょっとこちらへ」
 と呼んだ。
「はい」
 高く返辞をして近江の君は出て来た。
「あなたはよく精勤するね、役人にいいだろうね。尚侍にあんたがなりたいということをなぜ早く私に言わなかったのかね」
 大臣はまじめ顔に言うのである。近江の君は喜んだ。
「そう申し上げたかったのでございますが、女御さんのほうから間接にお聞きくださるでしょうと御信頼しきっていたのですが、おなりになる人が別においでになることを承りまして、私は夢の中だけで金持ちになっていたという気がいたしましてね、胸の上に手を置いて吐息《といき》ばかりをつく状態でございました」
 とても早口にべらべらと言う。大臣はふき出してしまいそうになるのをみずからおさえて、
「つまり遠慮深い癖が禍《わざわ》いしたのだね。私に言えばほかの希望者よりも先に、陛下へお願いしたのだったがね。太政大臣の令嬢がどんなにりっぱな人であっても、私がぜひとお願いすれば勅許がないわけはなかったろうに、惜しいことをしたね。しかし今からでもいいから自己の推薦状を美辞麗句で書いて出せばいい。巧みな長歌などですれば陛下のお目にきっととまるだろう。人情味のある方だからね」
 とからかっていた。親がすべきことではないが。
「和歌はどうやらこうやら作りますが、長い自身の推薦文のようなものは、お父様から書いてお出しくださいましたほうがと思います。二人でお願いする形になって、お父様のお蔭《かげ》がこうむられます」
 両手を擦《す》り合わせながら近江の君は言っていた。几帳《きちょう》の後ろなどで聞いている女房は笑いたい時に笑われぬ苦しみをなめていた。我慢性《がまんしょう》のない人らは立って行ってしまった。女御も顔を赤くして醜いことだと思っているのであった。内大臣は、
「気分の悪い時には近江の君と逢《あ》うのがよい。滑稽《こっけい》を見せて紛らせてくれる」
 とこんなことを言って笑いぐさにしているのであるが、世間の人は内大臣が恥ずかしさをごまかす意味でそんな態度もとるのであると言っていた。



底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
   1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
   1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には2002(平成14)年1月15日44版発行を使用しました。
入力:上田英代
校正:伊藤時也
2003年9月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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