源氏物語
行幸
紫式部
與謝野晶子訳
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)おん輿《こし》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)馬|鞍《ぐら》
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)胡※[#「竹かんむり/祿」、第3水準1−89−76]
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[#地から3字上げ]雪ちるや日よりかしこくめでたさも上
[#地から3字上げ]なき君の玉のおん輿《こし》 (晶子)
源氏は玉鬘《たまかずら》に対してあらゆる好意を尽くしているのであるが、人知れぬ恋を持つ点で、南の女王《にょおう》の想像したとおりの不幸な結末を生むのでないかと見えた。すべてのことに形式を重んじる癖があって、少しでもその点の不足したことは我慢のならぬように思う内大臣の性格であるから、思いやりもなしに婿として麗々しく扱われるようなことになっては今さら醜態で、気恥ずかしいことであると、その懸念《けねん》がいささか源氏を躊躇《ちゅうちょ》させていた。
この十二月に洛西《らくさい》の大原野の行幸《みゆき》があって、だれも皆お行列の見物に出た。六条院からも夫人がたが車で拝見に行った。帝《みかど》は午前六時に御出門になって、朱雀《すざく》大路から五条通りを西へ折れてお進みになった。道路は見物車でうずまるほどである。行幸と申しても必ずしもこうではないのであるが、今日は親王がた、高官たちも皆特別に馬|鞍《ぐら》を整えて、随身、馬副男《うまぞいおとこ》の背丈《せたけ》までもよりそろえ、装束に風流を尽くさせてあった。左右の大臣、内大臣、納言以下はことごとく供奉《ぐぶ》したのである。浅葱《あさぎ》の色の袍《ほう》に紅紫の下襲《したがさね》を殿上役人以下五位六位までも着ていた。時々少しずつの雪が空から散って艶《えん》な趣を添えた。親王がた、高官たちも鷹《たか》使いのたしなみのある人は、野に出てからの用にきれいな狩衣《かりぎぬ》を用意していた。左右の近衛《このえ》、左右の衛門《えもん》、左右の兵衛《ひょうえ》に属した鷹匠《たかじょう》たちは大柄な、目だつ摺衣《すりぎぬ》を着ていた。女の目には平生見|馴《な》れない見物事であったから、だれかれとなしに競って拝観をしようとしたが、貧弱にできた車などは群衆に輪をこわされて哀れな姿で立っていた。桂《かつら》川の船橋のほとりが最もよい拝観場所で、よい車がここには多かった。六条院の玉鬘《たまかずら》の姫君も見物に出ていた。きれいな身なりをして化粧をした朝臣《あそん》たちをたくさん見たが、緋《ひ》のお上着を召した端麗な鳳輦《ほうれん》の中の御姿《みすがた》になぞらえることのできるような人はだれもない。玉鬘は人知れず父の大臣に注意を払ったが、噂《うわさ》どおりにはなやかな貫禄《かんろく》のある盛りの男とは見えたが、それも絶対なりっぱさとはいえるものでなくて、だれよりも優秀な人臣と見えるだけである。きれいであるとか、美男だとかいって、若い女房たちが蔭《かげ》で大騒ぎをしている中将や少将、殿上役人のだれかれなどはまして目にもたたず無視せざるをえないのである。帝は源氏の大臣にそっくりなお顔であるが、思いなしか一段崇高な御|美貌《びぼう》と拝されるのであった。でこれを人間世界の最もすぐれた美と申さねばならないのである。貴族の男は皆きれいなものであるように玉鬘は源氏や中将を始終見て考えていたのであるが、こんな正装の姿は平生よりも悪く見えるのか、多数の朝臣たちは同じ目鼻を持つ顔とも玉鬘には見えなかった。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮もおいでになった。右大将は羽振りのよい重臣ではあるが今日の武官姿の纓《えい》を巻いて胡※[#「竹かんむり/祿」、第3水準1−89−76]《やなぐい》を負った形などはきわめて優美に見えた。色が黒く、髭《ひげ》の多い顔に玉鬘は好感を持てなかった。男は化粧した女のような白い顔をしているものでないのに、若い玉鬘の心はそれを軽蔑《けいべつ》した。源氏はこのごろ玉鬘に宮仕えを勧めているのであった。今までは自発的にお勤めを始めるのでもなしにやむをえずに御所の人々の中に混じって新しい苦労を買うようなことはと躊躇する玉鬘であったが、後宮の一人でなく公式の高等女官になって陛下へお仕えするのはよいことであるかもしれないと思うようになった。大原野で鳳輦《ほうれん》が停《とど》められ、高官たちは天幕の中で食事をしたり、正装を直衣《のうし》や狩衣に改めたりしているころに、六条院の大臣から酒や菓子の献上品が届いた。源氏にも供奉《ぐぶ》することを前に仰せられたのであるが、謹慎日であることによって御辞退をしたのである。蔵人《くろうど》の左衛門尉《さえもんのじょう》を御使《みつか》いにして、木の枝に付けた雉子《きじ》を一羽源氏へ下された。この仰せのお言葉は女である筆者が採録申し上げて誤りでもあってはならないから省く。
[#ここから2字下げ]
雪深きをしほの山に立つ雉子の古き跡をも今日《けふ》はたづねよ
[#ここで字下げ終わり]
御製はこうであった。これは太政大臣が野の行幸にお供申し上げた先例におよりになったことであるかもしれない。
源氏の大臣は御使いをかしこんで扱った。お返事は、
[#ここから2字下げ]
小塩《をしほ》山みゆき積もれる松原に今日ばかりなる跡やなからん
[#ここで字下げ終わり]
という歌であったようである。筆者は覚え違いをしているかもしれない。
その翌日、源氏は西の対へ手紙を書いた。
[#ここから1字下げ]
昨日《きのう》陛下をお拝みになりましたか。お話ししていたことはどう決めますか。
[#ここで字下げ終わり]
白い紙へ、簡単に気どった跡もなく書かれているのであるが、美しいのをながめて、
「ひどいことを」
と玉鬘《たまかずら》は笑っていたが、よくも心が見透かされたものであるという気がした。
[#ここから1字下げ]
昨日は、
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うちきらし朝曇りせしみゆきにはさやかに空の光やは見し
[#ここから1字下げ]
何が何でございますやら私などには。
[#ここで字下げ終わり]
と書いて来た返事を紫の女王《にょおう》もいっしょに見た。源氏は宮仕えを玉鬘に勧めた話をした。
「中宮《ちゅうぐう》が私の子になっておいでになるのだから、同じ家からそれ以上のことがなくて出て行くのをあの人は躊躇することだろうと思うし、大臣の子として出て行くのも女御《にょご》がいられるのだから不都合だしと煩悶《はんもん》しているそのことも言っているのですよ。若い女で宮中へ出る資格のある者が陛下を拝見しては御所の勤仕を断念できるものでないはずだ」
と源氏が言うと、
「いやなあなた。お美しいと拝見しても恋愛的に御奉公を考えるのは失礼すぎたことじゃありませんか」
と女王は笑った。
「そうでもない。あなただって拝見すれば陛下のおそばへ上がりたくなりますよ」
などと言いながら源氏はまた西の対へ書いた。
[#ここから2字下げ]
あかねさす光は空に曇らぬをなどてみゆきに目をきらしけん
[#ここから1字下げ]
ぜひ決心をなさるように。
[#ここで字下げ終わり]
こんなふうに言って源氏は絶えず勧めていた。ともかくも裳着《もぎ》の式を行なおうと思って、その儀式の日の用意を始めさせた。自身ではたいしたことにしようとしないことでも、源氏の家で行なわれることは自然にたいそうなものになってしまうのであるが、今度のことはこれを機会に内大臣へほんとうのことを知らせようと期している式であったから、きわめて華美な支度《したく》になっていった。来春の二月にしようと源氏は思っているのであった。女は世間から有名な人にされていても、まだ姫君である間は必ずしも親の姓氏を明らかに掲げている必要もないから、今までは藤原《ふじわら》の内大臣の娘とも、源氏の娘とも明確にしないで済んだが、源氏の望むように宮仕えに出すことにすれば春日《かすが》の神の氏の子を奪うことになるし、ついに知れるはずのものをしいて当座だけ感情の上からごまかしをするのも自身の不名誉であると源氏は考えた。平凡な階級の人は安易に姓氏を変えたりもするが、内に流れた親子の血が人為的のことで絶えるものでないから、自然のままに自分の寛大さを大臣に知らしめようと源氏は決めて、裳《も》の紐《ひも》を結ぶ役を大臣へ依頼することにしたが、大臣は、去年の冬ごろから御病気をしておいでになる大宮が、いつどうおなりになるかもしれぬ場合であるから、祝儀のことに出るのは遠慮をすると辞退してきた。中将も夜昼三条の宮へ行って付ききりのようにして御|介抱《かいほう》をしていて、何の余裕も心にないふうな時であるから、裳着は延ばしたものであろうかとも源氏は考えたが、宮がもしお薨《かく》れになれば玉鬘《たまかずら》は孫としての服喪の義務があるのを、知らぬ顔で置かせては罪の深いことにもなろうから、宮の御病気を別問題として裳着を行ない、大臣へ真相を知らせることも宮の生きておいでになる間にしようと源氏は決心して、三条の宮をお見舞いしがてらにお訪《たず》ねした。微行《しのび》として来たのであるが行幸《みゆき》にひとしい威儀が知らず知らず添っていた。美しさはいよいよ光が添ったようなこのごろの源氏を御覧になったことで宮は御病苦が取り去られた気持ちにおなりになって、脇息《きょうそく》へおよりかかりになりながら、弱々しい調子ながらもよくお話しになった。
「そうお悪くはなかったのでございますね。中将がひどく御心配申し上げてお話をいたすものですから、どんなふうでいらっしゃるのかとお案じいたしておりました。御所などへも特別なことのない限りは出ませんで、朝廷の人のようでもなく引きこもっておりまして、自然思いましてもすぐに物事を実行する力もなくなりまして失礼をいたしました。年齢などは私よりもずっと上の人がひどく腰をかがめながらもお役を勤めているのが、昔も今もあるでしょうが、私は生理的にも精神的にも弱者ですから、怠《なま》けることよりできないのでございましょう」
などと源氏は言っていた。
「年のせいだと思いましてね。幾月かの間は身体《からだ》の調子の悪いのも打ちやってあったのですが、今年になってからはどうやらこの病気は重いという気がしてきましてね、もう一度こうしてあなたにお目にかかることもできないままになってしまうのかと心細かったのですが、お見舞いくださいましたこの感激でまた少し命も延びる気がします。もう私は惜しい命では少しもありません。皆に先だたれましたあとで、一人長く生き残っていることは他人のことで見てもおもしろくないことに思われたことなのですから、早くと先を急ぐ気にもなるのですが、中将がね、親切にね、想像もできないほどよくしてくれましてね、心配もしてくれますのを見ますとまた引き止められる形にもなっております」
初めから終わりまで泣いてお言いになるそのお慄《ふる》え声もこの場合に身に沁《し》んで聞かれた。昔の話も出、現在のことも語っていたついでに源氏は言った。
「内大臣は毎日おいでになるでしょうが、私の伺っておりますうちにもしおいでになることがあればお目にかかれて結構だと思います。ぜひお話ししておきたいこともあるのですが、何かの機会がなくてはそれもできませんで、まだそのままになっております」
「お上《かみ》の御用が多いのか、自身の愛が淡《うす》いのか、そうそう見舞ってくれません。お話しになりたいとおっしゃるのはどんなことでしょう。中将が恨めしがっていることもあるのですが、私は何も初めのことは知りませんが、冷淡な態度をあの子にとるのを見て
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