いましてね、一度立った噂《うわさ》はそんなことで取り返されるものではなし、かえって二重に人から譏《そし》らせるようなものだと私は忠告もしましたが、昔からこうと思ったことは曲げられない性質でね、私は不本意に傍観しています」
大宮が中将のことであろうとお解しになって、こうお言いになるのを聞いて、源氏は笑いながら、
「今さらしかたのないこととして許しておやりになるかと思いまして、私からもそれとなく希望を述べたこともあるのですが、断然お引き分けになろうとするお考えらしいのを見まして、なぜ口出しをしたかときまり悪く後悔をしておりました。まあ何事にも清めということがございますから、噂などは大臣の意志で消滅させようとすればできるかもしれぬとは見ていますが事実であったことをきれいに忘れさせることはむずかしいでしょうね。すべて親から子と次第に人間の価値は落ちていきまして、子は親ほどだれからも尊敬されず、愛されもしないのであろうと中将を哀れに思っております」
などと言ったあとで源氏は本問題の説明をするのであった。
「大臣にお話ししたいと思いますことは、大臣の肉身の人を、少し朦朧《もうろう》としました初めの関係から私の娘かと思いまして手もとへ引き取ったのですが、その時には間違いであることも私に聞かせなかったものですから、したがってくわしく調べもしませんで子供の少ない私ですから、縁があればこそと思いまして世話をいたしかけましたものの、そう近づいて見ることもしませんで月日がたったのですが、どうしてお耳にはいったのですか、宮中から御沙汰《ごさた》がありましてね、こう仰せられるのです。尚侍《ないしのかみ》の職が欠員であることは、そのほうの女官が御用をするのにたよる所がなくて、自然仕事が投げやりになりやすい、それで今お勤めしている故参の典侍《ないしのすけ》二人、そのほかにも尚侍になろうとする人たちの多い中にも資格の十分な人を選び出すのが困難で、たいてい貴族の娘の声望のある者で、家庭のことに携わらないでいい人というのが昔から標準になっているのですから、欠点のない完全な資格はなくても、下の役から勤め上げた年功者の登用される場合はあっても、ただ今の典侍にまだそれだけ力がないとすれば、家柄その他の点で他から選ばなければならないことになるから出仕をさせるようにというお言葉だったのです。私の家の子が相応しないこととも思うわけのものでございませんから、私も宮中の仰せをお受けしようという気になったのでございます。宮仕えというものは適任者であると認められれば役の不足などは考えるべきことではありません。後宮ではなしに宮中の一課をお預かりしていろいろな事務も見なければならないことは女の最高の理想でないように思う人はあっても、私はそうとも思っておりません。仕事は何であってもその人格によってその職がよくも見え、悪くも見えるのであると、私がそんな気になりました時に、娘の年齢のことを聞きましたことから、これは私の子でなくてあの方のだということがわかったのです。なおお目にかかりましてその点なども明瞭《めいりょう》にいたしたいと思います。機会がなくてはお目にかかれませんから、おいでを願ってこの話を申し上げようといたしましたところ、あなた様の御病気のことをお言い出しになりましてお断わりのお返事をいただいたのですが、それは実際御遠慮申すべきだと思いますものの、こんなふうにおよろしいところを拝見できたのですから、やはり計画どおりに祝いの式をさせたいと思うのです。内大臣にもやはりその節御足労を願いたいと思うのですが、あなた様からいくぶんそのこともおにおわしになったお手紙をお出しくださいませんか」
と源氏は言うのであった。
「まあそれは思いがけないことでございますね。内大臣の所ではそうした名のりをして来る者は片端から拾うようにしてよく世話をしているようですがね、どうしてあなたの所へ引き取られようとしたのでしょう。前から何かのお話を聞いていて出て来た人なのですか」
「そうなっていく訳がある人なのです。くわしいことは内大臣のほうがよくおわかりになるくらいでしょう。凡俗の中の出来事のようで、明らかにすればますます人が噂《うわさ》に上せたがりそうなことと思われますから、中将にもまだくわしく話してございません。あなた様も秘密にあそばしてください」
と源氏は注意した。
内大臣のほうでも源氏が三条の宮へ御訪問したことを聞いて、
「簡単な生活をしていらっしゃる所では太政大臣の御待遇にお困りになるだろう。前駆の人たちを饗応《きょうおう》したり、座敷のお取りもちをする者もはかばかしい者がいないであろう、中将は今日はお客側のお供で来ていられるだろうから」
すぐに子息たちそのほかの殿上役人たちをやるのであった。
「お菓子とか、酒とか、よいようにして差し上げるがいい。私も行くべきだがかえってたいそうになるだろうから」
などと言っている時に大宮のお手紙が届いたのである。
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六条の大臣が見舞いに来てくだすったのですが、こちらは人が少なくてお恥ずかしくもあり、失礼でもありますから、私がわざとお知らせしたというふうでなしに来てくださいませんか。あなたとお逢《あ》いになってお話しなさりたいこともあるようです。
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と書かれてあった。何であろう、雲井《くもい》の雁《かり》と中将の結婚を許せということなのであろうか、もう長くおいでになれない御病体の宮がぜひにとそのことをお言いになり、源氏の大臣が謙遜《けんそん》な言葉で一言その問題に触れたことをお訴えになれば自分は拒否のしようがない。中将が冷静で、あせって結婚をしようとしないのを見ていることは自分の苦痛なのであるから、いい機会があれば先方に一歩譲った形式で許すことにしようと大臣は思った。そしてそれは大宮と源氏が合議されてのことであるに違いないと気のついた大臣は、それであればいっそう否みようのないことであると思われるが、必ずしもそうでないと思った。こうした時にちょっと反抗的な気持ちの起こるのが内大臣の性格であった。しかし宮もお手紙をおつかわしになり、源氏の大臣も待っておいでになるらしいから伺わないでは双方へ失礼である。ともかくもその場になって判断をすることにしようと思って、内大臣は身なりを特に整えて前駆などはわざと簡単にして三条の宮へはいった。子息たちをおおぜい引きつれている大臣は、重々しくも頼もしい人に見えた。背の高さに相応して肥《ふと》った貫禄《かんろく》のある姿で歩いて来る様子は大臣らしい大臣であった。紅紫の指貫《さしぬき》に桜の色の下襲《したがさね》の裾《すそ》を長く引いて、ゆるゆるとした身のとりなしを見せていた。なんというりっぱな姿であろうと見えたが、六条の大臣は桜の色の支那錦《しなにしき》の直衣《のうし》の下に淡色《うすいろ》の小袖《こそで》を幾つも重ねたくつろいだ姿でいて、これはこの上の端麗なものはないと思われるのであった。自然に美しい光というようなものが添っていて、内大臣の引き繕った姿などと比べる性質の美ではなかった。おおぜいの子息たちがそれぞれりっぱになっていた。藤《とう》大納言、東宮|大夫《たゆう》などという大臣の兄弟たちもいたし、蔵人頭《くろうどのかみ》、五位の蔵人、近衛《このえ》の中少将、弁官などは皆一族で、はなやかな十幾人が内大臣を取り巻いていた。その他の役人もついて来ていて、たびたび杯がまわるうちに皆酔いが出て、内大臣の豊かな幸福をだれもだれも話題にした。源氏と内大臣は珍しい会合に昔のことが思い出されて古いころからの話がかわされた。世間で別々に立っている時には競争心というようなものも双方の心に芽ぐむのであるが、一堂に集まってみれば友情のよみがえるのを覚えるばかりであった。隔てのない会話の進んでいく間に日が暮れていった。杯がなお人々の間に勧められた。
「伺わないでは済まないのでございますが、今日来いというようなお召しがないものですから、失礼しておりまして、お叱《しか》りを受けそうでなりません」
と内大臣は言った。
「お叱りは私が受けなければならないと思っていることがたくさんあります」
と意味ありげに源氏の言うのを、先刻から考えていた問題であろうと大臣はとって、ただかしこまっていた。
「昔から公人としても私人としてもあなたとほど親しくした人は私にありません。翅《はね》を並べるというようにして将来は国事に携わろうなどと当時は思ったものですがね、のちになるとお互いに昔の友情としては考えられないようなこともしますからね。しかしそれは区々たることですよ。だいたいの精神は少しも昔と変わっていないのですよ。いつの間にかとった年齢《とし》を思いましても昔のことが恋しくてなりませんが、お逢《あ》いのできることもまれにしかありませんから、勝手な考えですが、私のように親しい者の所へは微行《しのび》ででもお訪《たず》ねくださればいいと恨めしい気になっている時もあります」
と源氏が言った。
「青年時代を考えてみますと、よくそうした無礼ができたものだと思いますほど親しくさせていただきまして、なんらの隔てもあなた様に持つことがありませんでした。公人といたしましては翅《はね》を並べるとお言いになりますような価値もない私を、ここまでお引き立てくださいました御好意を忘れるものでございませんが、多い年月の間には我知らずよろしくないことも多くいたしております」
などと大臣は敬意を表しながら言っていた。この話の続きに源氏は玉鬘《たまかずら》のことを内大臣に告げたのであった。
「何たることでしょう。あまりにうれしい、不思議なお話を承ります」
と大臣はひとしきり泣いた。
「ずっと昔ですが、その子の居所が知れなくなりましたことで、何のお話の時でしたか、あまりに悲しくてあなたにお話ししたこともある気がいたします。今日私もやっと人数《ひとかず》になってみますと、散らかっております子供が気になりまして、正直に拾い集めてみますと、またそれぞれ愛情が起こりまして、皆かわいく思われるのですが、私はいつもそうしていながら、あの子供を最も恋しく思い出されるのでした」
この話から、昔の雨夜の話に、いろいろと抽象的に女の品定《しなさだ》めをしたことも二人の間に思い出されて、泣きも笑いもされるのであった。深更になってからいよいよ二人の大臣は別れて帰ることになった。
「こうしてごいっしょになることがありますと、当然なことですが昔が思い出されて、恋しいことが胸をいっぱいにして、帰って行く気になれないのですよ」
と言って、あまり泣かない人である源氏も、酔い泣きまじりにしめっぽいふうを見せた。大宮は葵《あおい》夫人のことをまた思い出しておいでになった。昔のはなやかさを幾倍したものともしれぬ源氏の勢いを御覧になって、故人が惜しまれてならないのでおありになった。しおしおとお泣きになった、尼様らしく。
源氏はこうした会見にも中将のことは言い出さなかった。好意の欠けた処置であると感じた事柄であったから、自身が口を出すことは見苦しいと思ったのであった。大臣のほうでは源氏から何とも言わぬ問題について進んで口を切ることもできなかったのである。その問題が未解決で終わったことは愉快でもなかった。
「今晩お邸《やしき》までお送りに参るはずですが、にわかにそんなことをいたしますのも人騒がせに存ぜられますから、今日のお礼はまた別の日に参上して申し上げます」
と大臣が言うのを聞いて、それでは宮の御病気もおよろしいように拝見するから、きっと申し上げた祝いの日に御足労を煩わしたいということを源氏は頼んで約束ができた。非常に機嫌《きげん》よく大臣たちは会見を終えて宮邸を出るのであったが、その場にもまたいかめしい光景が現出した。内大臣の供をして来た公達《きんだち》などはたまさかの会合が朗らかに終わったのは何の相談があったのであろう、太政大臣は今日もまた以前のように内大臣へ譲ることが何
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