あると院も仰せになりました。世間もそう信じているのですが、絵などはほんのお道楽だと私も今までは思っていましたのに、あまりにお上手《じょうず》過ぎて墨絵描きの画家が恥じて死んでしまう恐れがある傑作をお見せになるのは、けしからんことかもしれません」
 宮はしまいには戯談《じょうだん》をお言いになったが酔い泣きなのか、故院のお話をされてしおれておしまいになった。二十幾日の月が出てまだここへはさしてこないのであるが、空には清い明るさが満ちていた。書司に保管されてある楽器が召し寄せられて、中納言が和琴《わごん》の弾《ひ》き手になったが、さすがに名手であると人を驚かす芸であった。帥の宮は十三絃、源氏は琴、琵琶の役は少将の命婦に仰せつけられた。殿上役人の中の音楽の素養のある者が召されて拍子を取った。稀《まれ》なよい合奏になった。夜が明けて桜の花も人の顔もほのかに浮き出し、小鳥のさえずりが聞こえ始めた。美しい朝ぼらけである。下賜品は女院からお出しになったが、なお親王は帝《みかど》からも御衣《ぎょい》を賜わった。この当座はだれもだれも絵合わせの日の絵の噂《うわさ》をし合った。
「須磨、明石の二巻は女院の御座右に差し上げていただきたい」
 こう源氏は申し出た。女院はこの二巻の前後の物も皆見たく思召すとのことであったが、
「またおりを見まして」
 と源氏は御|挨拶《あいさつ》を申した。帝が絵合わせに満足あそばした御様子であったのを源氏はうれしく思った。二人の女御の挑《いど》みから始まったちょっとした絵の上のことでも源氏は大形《おおぎょう》に力を入れて梅壺《うめつぼ》を勝たせずには置かなかったことから中納言は娘の気《け》押されて行く運命も予感して口惜《くちお》しがった。帝は初めに参った女御であって、御愛情に特別なもののあることを、女御の父の中納言だけは想像のできる点もあって、頼もしくは思っていて、すべては自分の取り越し苦労であるとしいて思おうとも中納言はしていた。
 宮中の儀式などもこの御代《みよ》から始まったというものを起こそうと源氏は思うのであった。絵合わせなどという催しでも単なる遊戯でなく、美術の鑑賞の会にまで引き上げて行なわれるような盛りの御代が現出したわけである。しかも源氏は人生の無常を深く思って、帝がいま少し大人におなりになるのを待って、出家がしたいと心の底では思っているようで
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